この『日本史』は、宣教師ルイス=フロイスが著したものです。
宣教師、なのですが、イエズス会からキリスト教の布教の歴史や日本のことを記録せよ、と、命じられて、布教の現場から離れて執筆に専念することになりました。
フランシスコ=ザビエルが来日した1549年から1589年、それから1590年から1593年のことが記録されています。
コヤブ歴史堂でも、フランシスコ=ザビエルの回などでもマル秘ファイルとして登場しました。
当事者とは違う、客観的な外国人の立場から描かれている日本の様子を知ることができる貴重な史料です。
でも、この一級史料も、外国人、とくにキリスト教、というバイアスがかかっていて、日本の習慣や文化、人物像に、やや歪みがある、ということを割り引いて読まなくてはいけません。
鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス
鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス
という歌を知っていますよね?
前者が織田信長で後者が豊臣秀吉の性格を示したものです。短気で冷酷な信長、知恵と工夫の秀吉、という人物評判ですが、これをルイス=フロイスの『日本史』で描かれている二人の人物像と対比させてもおもしろいと思います。
まずは信長。
声は甲高い。
武芸が好きで粗野。
正義や慈悲の行いを好む。
傲慢で名誉を尊ぶ。
人々から異常なほどの畏怖を受けている。
自分以外の大名をことごとく見下している。
神仏などの偶像を軽視している。
死後の世界は無いと断言している。
「殺してしまえホトトギス」というところに共通するところがあるようにも思いますが、たいていの小説やドラマの信長は、このルイス=フロイスの記述をもとにつくりだされた「信長像」です。
では、秀吉はどうか。
優秀な武将で戦闘に熟練していた。
気品に欠けていた。
醜悪な容貌をしていた。
極度に淫蕩であった。
悪徳に汚れ、獣のような欲にまみれていた。
狡猾な策略家。
ルイス=フロイスは、カトリックのイエズス会の宣教師でしたから、反キリスト教的な要素、には、かなり低い評価をする人物です。秀吉は、1857年にバテレン追放令を出し、キリシタンを弾圧した、ということがあったので、ちょっとした人格攻撃におよんでいるような気がします。
でも、不思議ですよね。信長は、このルイス=フロイスの記述のように物語やドラマでは表現されている場合が多いのに、秀吉のここであげられている「欠点」は、やや明るくいいように描かれている…
気品に欠けている ⇔ 陽気で人なつっこい
醜悪な容貌 ⇔ 猿というあだ名で呼ばれている
極度に淫蕩 ⇔ 女好きで側室がたくさんいる
悪徳で欲深い ⇔ 経済的な理解が深い
信長も、ひょっとしたら、ルイス=フロイスが記しているような性格ではなかったような気がします。
わたしたちは、この人物ならこうだ、というステロタイプ的な理解があって、その人物像に合うようなエピソードばかりをみつけてきて、そうでない表現には目をつぶっているのかもしれません。
よく、歴史上の人物で、信長が好きだ、徳川家康が好きだ、坂本龍馬が好きだ、とか言ってしまいますが、正確には「津本陽の書いた信長が好きだ」「山岡荘八の書いた徳川家康が好きだ」「司馬遼太郎の書いた坂本龍馬が好きだ」というように言うべきなんですよね。
にゃんたのマル秘ファイルで、
「ああ、この人、こんな人だったのか、自分の知ってたのと少し違うな」
と、自分が刷り込まれている人物像にちょっぴり修正を加えてもらえれば、と思います。