徳川吉宗といえば… | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

昨今、誰が父だとか母だとか、いったい誰の子だとか… 世間は騒いでいますよね。


歴史上の人物も、DNA鑑定してほしい人がたくさんいます。


崇徳天皇は、鳥羽天皇と待賢門院の子ではないのか?

待賢門院と、鳥羽天皇の祖父、白河法皇が密通して生まれた子だった、ということが『古事談』に書かれています。

このことが理由で、崇徳上皇が父鳥羽法皇に嫌われ、弟、後白河天皇と争って保元の乱に発展した、とも言われています。


平清盛は、平忠盛の子ではなく白河法皇の子だったのか?

忠盛の妻は、もと白河法皇の妻、祇園女御で、忠盛の妻となったときにはすでに妊娠していた、という話があって『平家物語』の第六巻にも書かれています。

このことが理由で、平清盛が、右大臣も左大臣も経験せず、いきなり従一位、太政大臣となった、とも言われています。


「乱」とか「すごい出世」とか、案外とこういう、ナマナマしいことが理由にならなければ起こらないような気もします…


さてさて、徳川吉宗なのですが…

吉宗の次男、田安宗武の子、つまり吉宗の孫が「寛政の改革」で有名な松平定信です。で、どういうわけだか、松平定信のひ孫が明治天皇の母の中山慶子、というような話が一時出たことがあります。


そうすると、明治天皇は、徳川吉宗の子孫、ということになっちゃう…


でも実際はちょっとややこしい。

松平定信の娘は、平戸松浦家の当主松浦煕の妻になります。その「娘」、富子は中山慶子の弟、中山忠光の妻になっています。

「 」をつけたのにはワケがあります。富子を生んだ母は、松平定信の娘、ではなく、側室でした。

中山慶子の近くにはたどりつきますが、こちらのほうはDNA鑑定するまでもなさそうです。


「明治天皇、徳川吉宗子孫説」は、ちょっと無理がありますね。