第 11 章 應暉(5)
その日、彼は他の場所で宴会があり飲み過ぎて戻って来て、慌てふためいた默笙が彼の世話をする。
應暉は自身が酔っているのか、それとも醒めているのか曖昧にしゃべり、もし酔っていたのなら彼はどうして今になってもまだそれぞれの細かい所まで覚えているのか、もし醒めていたのなら彼は又どうしてこのような理知的なコントロールが出来なかったのか・・・
夢現の間みたいに彼は默笙の身体を下に押し付ける・・・
彼が酔いから醒めたのは既に夜明け前。
意識は0.1秒で戻り彼は下の階へと突進する
階下のホールに明かりはなく一面の暗闇で、默笙が階下のソファーに座っているのがぼんやりと目に入る。自分の膝をきつく抱きしめ項垂れている。
應暉はどこかで見た気がする
人はとてつもない傷害を受けた時に無意識で母体の中に居る赤ちゃんのような姿勢をとる
安心感が不足しているから・・・
彼の手が電灯のスイッチを押すのを止めると、默笙は突然弱々しい声を出す
「應お兄さん、あなたは・・・私を彼女だと思ったんですか?」
應暉は彼女が言った”彼女”が誰なのか、暫くぼんやりとしてからやっと気が付く
―彼の昔の彼女―
自分は彼女に元カノの事を一度話題にした気がするが、何を言ったのかはそれほど覚えていない
彼女は・・・自分がまだ彼女を忘れられないと思ったのか?
默笙、君は全ての人が君と同じで過去を恋しがっていると思うのか?
應暉は苦笑いをする。
彼は默笙が自分に滑稽な苦境を与えたことに気付く。もし”はい”と答えたなら、彼は自身の心の痕跡を明らかにするすべがなく、悪くすると何時までも更に一層打つ手がなくなり、もしそうでないのなら、彼は自分がレイプ犯だと認めなければならなくなる。
未遂ではあるが・・・
默笙の信頼する目と向かいあった應暉は最後には目を閉じることを選択して答えない。
たぶん彼女に最も自分を慰めることができる答えを探させるのだろう
事実、この後默笙はもう彼と平然と同じ部屋で共に存在するすべがなく、默笙が引っ越しを申し出た時應暉が言った
「默笙、君は帰国しなさい。行ってみておいで」
默笙はぽかんとしたまま立ちつくす
「君は何時までも※駝鳥でいられない」
帰って見てくるといい・・・
もし、そこの天気が快晴だったらそこに留まり
もし、そこが困難で寂しいものだったなら急いで戻ってこればいい
そこに近づけば
その人を完全に忘れられるだろう
空港ではもう彼の名義上の妻でさえなくなった默笙を送り出し、應暉は上空を飛び去った飛行機の痕跡を仰ぎ見て、寂しい気持ちが身体の隅々まで蔓延した。
つい今しがた彼が言った最後の言葉を彼女は理解したのか?
彼女はなにがしかのことで驚くほど鈍いように思われる。
「もし、君がアメリカに戻ってこないなら・・・私たちは暫く連絡をとってはいけない」
搭乗前に彼が彼女に言った言葉。
彼にはまだチャンスがあったのか?
もしかするとあったのかもしれない・・・
その”何以琛”と呼ばれる人がとっくに他の人に恋をしているかもしれない
この世界で、趙默笙のように融通の利かない人が何人いる?
お茶の香がゆらゆらしている
長く果てしない年月は数時間の話で結末に至り
「・・・もともと真実は一つとは限らない」
應暉は最後に言う。
「時に、彼女は本当にもう・・・驚くほど鈍い」應暉は顔を上に向けため息を吐き
「世間の出来事は本当に不思議で、思いもよらずこれらの事であなたは私が唯一話をするに足る人だ」
以琛はそれに答えずに最後に煙草を吸い終えると手元の服を取り
「時間が遅い。應さん、私は一足先に出ます」
「そんなに慌てることもないだろ」
以琛は足を止め
「默笙が酔っぱらっていて心配なんです」
應暉は大笑いをし
「何先生、あなたは敗者に成功をひけらかしているんですか?」
以琛は更に振り返ることはせずに急ぎ足でカフェを出るのにドアを押し開ける
外のひんやりとした空気が顔に当たって
以琛は深く呼吸をして
青筋をたてて握る荒々しい手を長い時間かけてゆっくりと広げた
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※駝鳥(ダチョウ)
ダチョウは緊急の場合に頭だけ砂の中に入れて自分は安全だと思い込む