第 10 章 不避(7)
「ミセス、イン!」
大きくはっきりとし更に熱っぽく呼ぶ声で、明らかに騒々しかったロビーはすうっと静かにさせられ、訛りのある英語は人を笑わせるが皆に注目される身なりが金持ちの中年男性には自覚がなく、顔中で歓喜してロビーを通り抜け硬直して立っている默笙の目の前に駆け付ける。
「ミセス、イン。應夫人」中年男性は興奮して少し支離滅裂で
「ここであなたを見かけるとは思ってもいませんでした。今回、あなたと應さんはご一緒に帰国したんですか?私は大商カンパニーの代表取締役の林祥和です。あなたはまだ覚えておられるかどうか、ははは。去年、アメリカであなたと應さんに招待していただきました。今回、あなた方はご夫婦で帰国されているんですね。何としても私に地元人としての最高のもてなしをさせて下さい」
默笙はすでに固まって手足は氷のように冷たい。
目の前のこの太った中年の男性を彼女にはまだ印象に残っている。
彼と應暉の会社はビジネス上の付き合いがあり去年、彼がアメリカに来た時應暉は彼と彼の夫人を家で酒席を設けてもてなした。
だけどどしてここで出くわすの?
最悪な時間
最悪な場面
默笙は袁氏らが疑い、更には驚きの眼差しが彼女の身体に留まるのを感じ取り
以琛の表情を見る勇気がない。
ついさっきちょっとだけ幸せになる感じがしたばかりなのに、あんなに弱々しくてすぐに消えようとしている・・・
恐れる感覚は身体の隅々まで拡散するが、次の瞬間一つの暖かくて力強い手が微かに震える彼女の手を握り占めた。
この手はついさっき怒りの気持ちを帯びて彼女が大通りを横切るのを引っ張ってくれた。
今は人の心を落ち着かせる力をもってきつく彼女の手を握りしめる
默笙がゆっくり振り向くと以琛は彼女を真っすぐ見つめ、目の中は痛々しいながらも平然としている。
彼は・・・見当をつけたの?
そうよね・・・
默笙は以琛の明瞭で冷静な声を聞く
「申し訳ありません。彼女は今、既にそうではなく・・・」
「人違いです」
話の途中で默笙に飛ぶように速く断ち切られ、以琛は話を止めると目の中に一筋の腑に落ちないものがさっと現れる。
默笙はやんわりと彼の手を振り払い林取締役に向かって繰り返す
「人違いです」
声は何時になく落ち着いている。
あの結婚と直接向かい合わなければならないのはわかっている
だけどそれは絶対に今じゃない
以琛のこんなにたくさんの友人の目の前でもいけない。
以琛は耐えることが出来るかもしれない。だけど、彼女は彼が自分のせいで他人に大げさに身振り手振りを交えて人の長所、短所などをあれこれ評論されるのは嫌だ。以琛は以前から傲慢だった。
「人違い?まさか、ははは。應夫人、からかわないで下さい」
林取締役はきまり悪そうにふざけて少し困惑げだが離れようとは思っていない。
行き詰まった状態でホテルのドアが押し開けられた。
ボーイが一様に揃って「いらっしゃいませ」の声と共に馬鹿にできない外見の人が来て、皆の眼差しを全て惹きつけて通り過ぎ、人だかりに囲まれた集団の中で、一人英気が盛んなハンサムでたくましい男性が歩いて近づいてくる。貴重な手作りのスーツの上着を手の中に持ち、歩く姿には勢いと落ち着きがある。
ロビーのきらびやかな明かりは彼を照らし更には尊さが誉のように見える。
蘇敏は目ざとく其の中にC大の一員が居るのに気が付き、思わず両目で詳しく見るが真ん中を歩き、大学の指導者をこのように諂わせることが出来る男性がどんな素性の人なのかがわからない。
林取締役はこの時、喜んで声をかけて興奮して手を振る
「應社長、奥様がここに居ます!」
この一言”應社長”であっという間に蘇敏にその人を思いださせるー應暉、SOSOの総裁、大学の為に建物を一つ寄付した。
林取締役の声が響いた瞬間、應暉は既に足を止めて彼らに向かって振り返ったように見え、近くの集団と共に足を止めた。彼は数秒立ち止まり、先の尖った眉を挙げそれからまっすぐ彼らに向かってやってきた。
既に反応のしようがない默笙のように、完全見えなかったみたいに應暉は彼女を通り過ぎて真っすぐ林取締役に向かって型通りの挨拶をする。
「なんと林取締役でしたか。明日お尋ねする話をしようと思っていたのに、ここで出会えるとは思いも寄らなかった」
林取締役は身に余る寵愛を受けて大喜びをして言う
「いえいえ、應社長。お会いできてこの上なく幸せです。ははは、應社長こちらは奥様ですよね。奥様に人違いだと云い張られたばかりなんですよ」
彼は默笙を指さす
應暉は気軽に默笙をちらっと見て、それから大笑いをする
「ちょっと似てますね。でも私の妻はスイスで休日を過ごしていますよ。林取締役の眼力はよろしくないですね」
「あっ?えっ?」林取締役は疑いながらも默笙をちらっと見て大急ぎで言う
「そうです、そうですとも。今、よく見てみるとさほど似てないですね」
言ってから繰り返し默笙に向かってお辞儀をして
「すみません。人違いをしてしまいました。お嬢さん、申し訳なかった」
默笙は視線を落として僅かに頭を横に振る
「約束するよりも偶然に出会う方がいいですね。林取締役、差支えなければ私達と一緒に食事をしてもよかろう」
「もちろん、もちろん」
話しているうちに應暉は林取締役と一緒に徐々に遠ざかる。
默笙が頭を上げると以琛は正面で應暉が離れて行く方向を無表情でじっと見つめ、深くひっそりとした瞳の中の感情は難しくてわかりにくい。
彼女の不安気な眼差しに気が付いた以琛は視線を戻し、頭を低くして彼女と話をする。
口調はさっき大通りの辺で叱ったのに比べると随分と穏やかになる。
当然、依然として厳しいが・・・
「家に戻ったら反省文をどう書くかよく考えろ」
「・・・」
默笙はじっと見て、頭で結末を計算する
以琛は袁氏の煙草を受け取って
「なんで大通りを横切ったのか。ついさっき君に言ったはずだ。こんなに早く忘れるのか?」
「・・・」