第 10 章 不避(8)
應暉らはウェイターの案内でVIP用エレベーターに入り、エレベーターのドアが閉まる前のほんの一瞬、應暉は何気なく彼らの片隅を見るようにして中立の立場で以琛の奥深い眼差しとぶつかり合う。
危うい僅かな時間の一区切りに発生したエピソードは皆にどんな反応をすべきかわからなくさせる。
ただ以琛の表情は自然に見え、意に介さずすぐに世間話を言って笑いが起こり、彼らはほんの少しの疑いも抱かず、結局のところ應暉はあの時自分の地位を誇示しただけで、どう見ても趙默笙と應暉との関係は少しもないと感じた。
彼らがもし本当に夫婦なら、それこそ理解し難い。
ロビーマネージャーはとても速く彼らに空席があることを知らせ、その上で自分らの仕事のミスのせいでお客様の時間を無駄にしたと表明し、謝意を示すために今回はお酒を除いて一律20%割り引くことにした。
数百元を節約できると計算した袁氏は喜びでいっぱいになる。
席上の雰囲気は賑やかで皆は期せずして同じ多くの法学部のエピソードを口にし、默笙は例え心配事が幾重に重なっていても、時に可笑しい箇所を聞いて思わず吹き出してしまったりもする。
更には、默笙が刑法の授業で笑い者になったのを思いだした人がいて、彼女の笑い話を持ち出してきたので困った默笙は声を顰めて彼が何故知っているのかを以琛に尋ねる。
明らかに同じ学年じゃない
以琛はにっこり笑って言う
「君がかなり有名なのを知らないのか?」
周教授はその後の幾つかの授業に出た時、更に默笙の話をしていた。
以前、女の子が恋人と共に授業に出てきた言い、その挙句に問題の解答に至らしめる。結果なんだかんだ云々、彼は生き生きと描写して話し全ての学生らの大笑いを引き起こす。
その後、以琛とは馴染みのない後輩が仲の良い顔をして彼に尋ねてくる
「あなたは周教授が話すあれに関係する女子学生の恋人なんですか?ははは。何故、これまであなたの恋人を見かけたことがないんですか?」
その時、默笙はもういなかった・・・
袁氏に何杯もの酒を続けざまに注がれて以琛はトイレに発つ。
ウェイターの指し示すトイレを探し当てて戸を押し開くとトイレにはすでに人が居る。
先に洗面台の前で手を洗っている男性は以琛が戸を押し開けて入った瞬間、身体を真っすぐにして立った。
以琛は無意識の内に足を止め、鏡に映る人の目と交わる――應暉
一瞬この小さいトイレを沈黙が占領する
「何以琛」僅かの時間の後、應暉が先に口を開いた
「お名前はかねがね伺っています」
「滅相もない」以琛は應暉を直視して表情は落ち着いている
「應さんこそ名声は遠くまで届いています」
「あなたの名前を私がどうして知っているか何故興味がない?」
應暉が蛇口を止めて振り返ると、鷹のような瞳の中は一筋煌めき彼の頑健なイメージとは異なり穏やかにみえ、ぽつぽつと一言一言話しだす
「私の以前の妻がかつて私が研究開発して出した検索エンジンでこの名前を探し求めていた」
帰宅した時はすでにかなり遅くなっていた。
默笙は酒席で袁氏と蘇敏に代わる代わるたくさん注がれ、ホテルを出る時には既にくらくらして以琛に支えられ、車に腰を下ろすと頭を傾けてすぐに寝入ってしまった。
以琛は彼女を抱えて寝室に戻り、ベットの上に載せると彼女は自発的に動いて寝床の中に潜りんで丸く縮まってよく眠る。恐らく酒を飲み過ぎたのが原因なのか、默笙の頬は全て赤くなり長い睫毛はそっと垂れ下がっている。
以琛は長い間彼女を凝視し最後には頭を下げて彼女の額にキスをする
「彼もこんなキスを君にしたのか?」
低く枯れた声で彼はずっと隠してきた不快感を漏らす。
目の前の彼女が覚めた時に彼女に見られる苦痛は絶対に嫌だと思う。
以琛は頭を下げて默笙と呼吸を通わせ合う
彼もかつて君のこんな近くまで?
彼も一時、君のえくぼと全ての熱情を手に入れたのか?
彼も一時・・・・
以琛は再び考えてはならないと自分自身に命令する
ただ、彼はずっと自分たちは同じだと思っている。彼はこの世界でずっと独りぼっちで、彼女は別のもう一つの世界にいる。ある日彼女が戻って来て、あるいはある日彼が待てずに探しに行く・・・
実は年の初めから着手して、数年のうちに出国する計画を立てていた。
人がいっぱいいるのも知っている・・・
しばらくして彼女が戻ってきて
馴染みのない眼差しで彼をみた
それから彼に告げる、すでに結婚していたと。
もしかつて誰かが彼女を独りぼっちにさせていなかったのなら、彼は本当は喜んであげるべきだったんじゃないのか?
ところが以琛はとても悲しいことに気付いて、自分自身には決してその気持ちがないことにした。
とても気にしていたのに
彼女が心変わりをしたことを気にしていた
默笙は何時ものように細々と均等に呼吸をしている。
以琛はそっと掛け布団の隅を敷布団の下にきちんと折り込んで、身体を起こすと戸締りをして外に出ていった。
十一月の深夜はもうひやっとする寒さが人に襲い掛かり、たとえこの賑やかな都市、A城でも街の通行人は非常に少なく幾らもいない。
應暉は24時間営業のカフェの窓辺に座り、窓の外をカフェに向かって歩いてくる男性を見ている。
月明りを遮ったところを歩く凛々しくぴんとした外見で抜きんでた風格は少しも見劣りしない。默笙を片時も忘れさせない人がきっと素晴らしい人だと應暉にはとっくに予想出来てはいたが、何以琛の秀逸さは彼の推測を超えていた。このような男性は学生時代も恐らくずば抜けていただろうに、默笙は昔どうして誤魔化した?
もし、自分と彼が同じ学年に居たならどちらが勝ってどちらが負ける?
当時もC大の風雲児の應暉という密かな評価を得ていた
もしそうなら、ひよっとするとまずは默笙に出会うはずで、あるいは全てのことが異なってくる。でもまあ、たとえ自分の大学時代に默笙と出会っていたとしても当時、気位が高く尊大であった自分が彼女に惚れるわけがない・・・
チャンスとは本当に不思議なもの
應暉が思いを馳せている間に何以琛は彼の真正面に腰を下ろす。
「あなたが遅れて到着すると思っていました」
「私は何時も時間に正確です」
以琛は平然とした口調で言い、ウェイターに渡されたメニューを無造作に捲って
「毛尖(緑茶の一種)を。ありがとう」
ウェイターは指示を受けて離れる
應暉は彼を見てから突然驚きの言葉を放つ
「あなたは何故、自ら放棄したんですか?」
この随分と挑発を帯びた質問は決して應暉が考えていた何以琛の気持ちを制御不能にさせるものと違って、彼の容貌は揺るがず
「應さん、この質問がいかなる実質的な意味も持っているとは思っていません」
「弁護士との話は本当に人の頭を痛くさせる」應暉は苦笑いをして背もたれに寄りかかって10本の指を交差させて握り
「默笙はどうやらあなたに私の話をしなかったようですね」
口調は肯定的で、あの時のロビーの様子では應暉に感づかれている
「確かに余計なことまで話してはいませんね」
前に彼は彼女に話をさせなかった
その後、默笙も敢えて言い出さなくなりその上、自分自身も無意識の内にこの問題を無期限の先送りとしていたようだ。
実際、これは彼の性格とは異なっている。
だが、默笙に出会うと全てが思いがけなくなる。
應暉は笑い、気持ちは遠くに漂ってしばらくしてから尋ねる
「何弁護士は私の話に関心がありますか」
以琛は瞳をあげる
「来た以上、当然」
お茶の香りがゆらゆらと漂う中で、むしろ應暉は沈黙をはじめる
それらの事情をもしかしたら何から話していいのかわからないのかもしれない・・・
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