”駕籠(かご)に乗る人担(かつ)ぐ人
そのまた草鞋(わらじ)を作る人”
この言葉を知ったのは
映画監督の入江富美子さん主催の
”へそ道”というワークショップでした
辞書では
”世の中には貧富の差や境遇など
さまざまな別があり
人はそれぞれ相応に生きているもの”
という意味から
”世間はそれぞれの立場の人の
持ちつ持たれつの関係で
成り立っているものだ”
という、たとえとされています
日本ではすべてにおいて
”駕籠(かご)に乗る人”
になるよう教育されていると感じます
それが1番素晴らしい、成功者なんだと
親も先生もきっと
いちばんスポットライトの当たるところへ
子どもや生徒をたどり着かせたい
それが成功だと信じています
たとえば
いい学校に通い
いい会社に就職し
出世街道まっしぐら
駕籠(かご)に乗れなかったわたしは
自分をダメ人間だと思ってました(泣)
でも本当に道はひとつでしょうか?
全員が
”駕籠(かご)に乗る人”になったら
だれが駕籠(かご)を担ぐのでしょうか?
だれがその人に
ライトを当てるのでしょうか?
ライトを当てる人がいなければ
その人たちに光は当たりません
”草鞋(わらじ)を作る人”がいなければ
”駕籠(かご)を担(かつ)ぐ人”は
裸足ですから
長く仕事をすることができません
職業や生き方に上下はありません
どれも等しく、尊いのです
1年前
まだ色んな制限に縛られていたわたしは
この言葉に深く考えさせられました
ひとには
与えられた使命があり
それはとても尊いもので
そのひと自身の役割があるのだと
その輝けるステージで
命を使い切ることが
何よりの喜びになるんだと
使命(ミッション)を生きる
いま、1年生のわたしですが(笑)
そこに気づけたことで
人生は緩やかに、そして大きく変化し
なによりも楽に生きることが出来ています
自分の価値に気づき
自分自身を満たしていくことが
いちばんの近道だとわたしはおもってます
いつもありがとうございます