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スタジオジブリの宮崎駿監督がiPadを一蹴している。

スタジオジブリの宮崎駿監督がiPadを一蹴している。

http://blogs.itmedia.co.jp/yasusasaki/2010/07/ipad-ab70.html

要するにテクノロジーを一蹴している。

彼はきっと、とても物を大事にする人にちがいない。壊れても何度でも修理して、一生使い続けていきたいと思っているような人なんだろうな。つまり彼は、大きな変化を望んでないのではないだろうか。劇的な変化は悪い結果を生んでしまうんじゃないかって、心配なのかしら。確かに地球の環境問題はとても深刻だ。この200年で、それまでの46億年が夢か幻だったかのように変わってしまったらしい。

物事に対して、腰を据えてじっくりと取り組むこと、花に水をあげるように、大切に大切に育むこと、壊れないように慎重に扱うこと、過不足がないこと、などは、尊いかどうかはわからないが、良いことのようには思える。漠然とそう教わってきた。そういう小さな積み重ねを一瞬で吹っ飛ばすのがテクノロジーだ。そのパワーは希望であると同時に脅威でもある。車は人を轢き殺すのに便利だ。人も地球も、吹けば飛ぶような存在だ。もしかしたら宇宙も、信じられないくらい脆いのかもしれない。

アウトドアブランド、パタゴニアの創業者でオーナーのイヴォン・シュイナードは、すべての装備を知恵に変えたいというようなことを言っていた。経験や技術や知識やコツを身に付けることで、依存する道具を減らしてシンプルに生きていきたいということだ。カート・ヴォネガットは、進化なんてくそくらえと言っていた。焦らずに、じっくりと腰を据えて、流れに無理に逆らおうとせず、環境と上手に付き合いながら人生をエンジョイすればいいじゃないか、といったところだろうか。

僕は、なるようにしかならないと思っている。イメージは全て実現可能であるとはよく言われていることだが、僕もその意見に賛成だ。

小学校2年の時、伊藤暢彦君という友達が、人間はその気になれば何でもできる、不可能はないと言っていた。8才の僕にはそれがたわごとにしか聞こえず、じゃあ今すぐにライオンになってみて。今、ここで。ほら早く、と彼に詰め寄って言い負かそうとしたが、本気で思えばできるけど、本気になれないからできないと言われた。そんな学校の帰り道のことをはっきり覚えている。のぶ君も、もしかすると単に大人の受け売りだったのかもしれない。彼のお父さんは弁護士だった。

ちなみに僕は、ジブリ作品は、別に好きでも嫌いでもない。でもラピュタとかナウシカとかの、未来なのか過去なのかよくわからず、不思議なノスタルジーが漂っているような、あの荒涼とした世界観は好きだ。なんかキュンとする。

旅人\(^o^)/

中田英寿さんは僕にとって特別なヒーローの1人だ。サッカー選手としても大ファンだったし、引退後の生き方も、最高に素敵でしょう。現役時代、ペルージャ1年目の彼の活躍には興奮した。ローマに移籍してからも、痺れさせてくれた。リーグ優勝を大きく引き寄せたユベントス戦での2本のシュートには身震いした。0-2から1点を返す豪快なミドルシュートと、ロスタイム、モンテッラの同点ゴールをお膳立てしたミドルシュートだ。ユベントスを絶望の淵に突き落としたあの試合の中田は、ロマニスタの中では永遠に語り草だ。

今はもう残念ながらサッカー選手ではなくなってしまったが、僕にとっては今も相変わらずヒーローのままだ。日本をワールドカップに初出場させたり、たくさんの感動的な思い出を与えてくれたからだけではない。1人の人間としての彼の話が、至極まともだからだ。あんなに素直で、誠実で、わかりやすくて、彼のようなまともな人は、そういないと思う。もしも、たとえばクラブやなんかで彼と出会ったとして、話しかけたら気さくに応じてくれる様が目に浮かぶようだ。もっとも、彼の前では僕は一言も口がきけなくなってしまうだろうが。

不思議で仕方ないことだが、彼の悪口を言う人もいるみたいだ。悪口というほどではなく、軽いタッチでおもしろがっているようなものがほとんどなのかな。実情はよくわからない。でも少なくともリスペクトが感じられないことは確かだ。日本サッカーを引っ張る存在として期待が大きかった分、あっさり引退してしまったことが裏切られたか捨てられたように感じられて、応援していたそれまでの気持ちが、憎しみや怒りに変わってしまったのかな…。でも彼の人生は彼のものだ。

今の彼に僕が期待したいことは、そうだな、とりあえず、駒野選手を飲みに誘ってあげてもらいたいな。ロベルトバッジョも一緒に誘って。それは、彼にしかできない役だから(笑)

国際関係論

日本はもういい加減アメリカの腰巾着ATMみたいなポジションはやめて、韓国を筆頭にアジア諸国と友好な関係作りを目指していくべきだ。それが普通のことだし、損得で考えても今後アジアのほうが絶対あつい。インドネシアは蒸し蒸しするとかそういう意味じゃないぞ。敗戦から65年、長い月日が流れた。当時の子供はもはや老人だ。時代もテクノロジーも、信じられないほど変わった。そして今なおすごいスピードで変わっている。もういいじゃねえかよアメリカちゃん、昔取ったマウントポジションをまだまだずっとキープしていきたいのか?これからは対等な立場として、仲良く付き合っていこうや。そのかわりこっちだって、ほとんど生体実験のノリで原爆ぶち落とされて、一瞬で20万人以上も燃やされたことは、もう言わないよ。てか今までだって言ってないけどな。君らが自国で嘘の教育をしてることに対してでさえね。ま、国際関係云々とか、そんなのどーでもよくなるくらい、個人個人の時代に突入していってるような気もするけどね。すごいスピードで。昔は地球の裏側なんてとても行けなかった。大航海時代とか、船が難破したりさぞかし大変だったろう。今は飛行機でピューンとひとっ飛び。世界中ほとんどどこにいても、電話やメールで話もできる。おもしろい現場に遭遇したら、USTREAMで全世界に向けて生中継だってできる。一個人が立派なメディアだ。一夜にして世界的な有名人になるような人が、近いうちにきっと現れるだろうな。そうして壁は壊れて世界は一つに溶け合っていくのだ。その大役を担っているのはテクノロジーであり、国際政治なんかではないのだよ。
話は変わるが、高校の時、小村(こむら)先生というおもしろい英語の先生がいた。僕にしては珍しく、かなり好きな先生だった。ちょっと変わってて、すごいマイペースな感じの先生だった。色黒で、丸いメガネかけてて、ジャンレノを小ダサくしたみたいな雰囲気だったな。確か子供が3人だか5人だかいるとか言ってたっけ。それから、写真が嫌いで、自分の写真は1枚も持ってないとか言ってたな。僕が授業中寝ていると、ミスターフクダ、ウェイクアップ、ハンギンゼア、ハンギンゼア、なんつって、起こされた。別に怒るでもなく、もう少しでチャイムだから、がんばってくださいって、むしろ励ましてくれた。ん~、思い出すと、やっぱり好きだ。その彼が確か高3に上がる直前によその学校、二水高校だかに転任することになってしまったのだが、3月の終業式での転任の挨拶がラディカルだった。日本の英語の教育はおかしい。たとえば、一番近い隣国である韓国、Koreaの正しい発音さえ知らない日本人のなんと多いことか。ためしに聞いてみると、多くの人が(コ)リアと答える。正しくは、コ(リ)アなのです。真ん中の(リ)にアクセントを置きます。隣国さえ正しく英語で発音できないって、こんな教育をしているようじゃあ、この国は終わっていると思いませんか?みたいなことを言っていた。もう14年も前なのにおぼえているのは、それだけ強く印象に残った話だからだ。今にして思えば、小中高、大学5年間、合計17年受けた教育の中で、彼が一番おもしろい先生だった。今頃も、まだどこかで英語教師やってるのかしら。あいかわらず写真は撮らないのかな~。でも写真嫌いってのは、なんかちょっと変人キャラ狙いすぎみたいなニオイがしたな~。

発狂

2010年5月25日、発狂しかけました。

ツイッターやブログを利用して、自分の中身を全部吐き出してしまえば自由になれると思っていたのですが、どうやらやり方に失敗したようで、内部から自分自身が崩壊していくのを確実に実感しました。睡眠不足もかなりまずかった気がします。とてつもない不安と恐怖。定まらない思考。麻薬中毒の禁断症状っていうのはもしかしてああいう気分なのかな。あんな状態が長く続いたら、とてもじゃないけど持ちません。


自分の心というのは誰からも見えません。僕からも。でも僕だけが、感じることはできるわけです。だから、それを言葉にして外に出せば、自分と自分以外という区別、境界線を壊せると思ったのです。自我からの脱出。圧倒的な自由。それを目指して、心に浮かんだことを吐き出し続けたわけですが、試みは失敗でした。ついでに胃液も吐きました。境界線を壊すというより、自分自身が壊れました。あんなことやっちゃいけません。どうやら人間、少しくらい不自由なほうがハッピーなようです。たとえばサッカーだって、ルールがあるからこそのおもしろさだもんね。オフサイドOK、ハンドもOK、髪の毛つかんでもOK、人数11人じゃなくてもOK、武装OK、核もOKとかなったら、もう何が何やら、わけわかんないもんね。自由すぎて。人間、ある程度の不自由さが気持ちいいという風に作られているようです。身をもって学習しました。

結局、7時間くらいぐっすり眠って、さらに2度寝で3時間くらい眠って、正気を取り戻しました。ああ、よかった!あんな精神状態、絶対もうやだ!

僕、きもいですか?目指せクロスオーバー

ここ2週間くらいの間に、まるで急性中毒のように一気に暗いオタクの道にのめり込みつつあります。アニメやAKB48(特にまゆゆ)のことばっかり考えているのです。暗い。暗くて気持ち悪いよ俺。親に言えないよ。どうしちゃったんだよ。以前はそんなのまったく興味なかったのに。いや、本当は気になって仕方なかったくせに、自分で自分をごまかしていたのかな。うん、そうだな。認めます。友達に嫌われたり、マジョリティから剥離することがこわかったんだ。ああああついに白状してしまった。アニメには本当に興味皆無だったから、すぐに飽きる可能性ありだな。でも本当にそっち行っちゃっていいのか俺。天国にせよ地獄にせよ、たぶんもう引き返せなくなるぞ。でも大丈夫。最新のファッションや、iPodプレイリストを安心して見せられるようなイケてる音楽や、ドミューンやナイトクラブやiPadや、おいしいコーヒー飲ませるオサレかふぇ等、ポジティブ要素への興味も、引き続き進行中ですから。


でも真性のアニヲタやアイドルヲタとかって天才的におもしろいと思う。2次元にしか恋愛感情持てない童貞の無職(47)とかだったらそれだけでもう最高。こんな人がもしいたら、絶対おもしろいに決まってる。でもそのおもしろさの裏付けって、やっぱり悶々とした日陰者だからこそなんだろうな。それはきっと、いろんなものに挟まって、自分に絶望したり、自分以外のすべてにも絶望したり、ジレンマにもがき苦しみ続けるからこそ育つ感性だと思うんだ。孤独感っていうのも重要なキーワードだな。同性愛者などはその最たるものだろう。ためしに、1人で外国を歩いてみるといい。感覚が鋭く研ぎ澄まされていくのを自覚できるから。となり町まで軽い日帰り一人旅でも、いくぶんかは実感できるはずだ。そういうヒリヒリ痛い環境が育む発想や想像力は、被差別者としての自意識だけが持つ特別な才能だと思うんだ。モテてきた奴、普通の甘酸っぱい青春を送ってきたような奴には絶対に真似できない。ニコニコ動画に気持ち悪いコメントしてるような奴らとか全員、ピカソやダリやゴッホや岡本太郎や横尾忠則なみの天才としか思えないもん。才能っていうのはきっと、いろんな感情が飽和点に達して、はじけたその部分のことなんだよな。自分という存在がコップ、その中に宿る心が水だとする。刺激を受けると、水がどんどん増える。やがて水はコップから溢れる。その溢れた水が、きっと、他人を溺れさせたり、特別な味がしたり、つまり感動させる力を持っているのだ。そして、それは才能と呼ばれているものなのだ。


アニヲタやアイドルヲタと呼ばれる素晴らしい正直者たちによる、この素晴らしいオタク文化がメインストリームのスターダムに押し上がったらおもしろいけど、もしそうなってしまったら、彼らの持つおもしろさはゆっくりと花が枯れるように失われていき、風化してしまうだろう。あの独特のおもしろさはきっと、陽の当たる場所では長くは生きられない性質なのだ。それを本能的に知っているからこそ、彼らも彼らで、「立派な普通の人」からの差別などまったく気にもせず、堂々と、刹那的に、自分の人生を楽しんでいるように見える。潔い生き方だ。そういえば今年4月初頭、代々木公園でアキバ系ヲタダンス狂宴を見た。天気のいい土曜日の真っ昼間、花見客で大賑わいの中、彼らはひときわ異彩を放っていた。狂熱のヲタダンス。それは美しく刹那的な光景だった。そしてちょっぴり気持ち悪かった。彼らグループの中の何人かは、きっとその夜、湯船かベッドの中でふと落ち込んだことだろう。それでいいのだ。



これでいいのだ!


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