皆さんこんにちは
今日は午前中、千葉県の八千代市にある道の駅に夫婦で買い物をしてきました。
ほうれん草、大根、自然薯、イチゴなどなど、
近くのスーパーよりも安く、思わず大量買いしてしまいました😁
そんな道の駅にいると、たくさんのトラックが休憩をされています。
どこから来ているのかなとナンバープレートを見渡していると、
1台のトラックに”札幌”の文字が。
「遠くから来られているんだな」と休憩中の運転手さんに
思わず会釈してしまいました😆
無事に帰って行けることを願いながら・・・。
そんな、ちょっとした出会いがあった火曜日のテーマは、
「ディズニー開園前のおはなし」
今日も頑張って書かせていただきますので
宜しくお願いします
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前回は、アメリカ人のカンターパートの指示で、棚を自分たちで組み立てたというお話しをさせていただきましたね
今日は、この”カウンターパート”とは何かについてお話ししてみたいと思います。
まず最初に、役割について簡単に説明すると、
東京ディズニーランド開園に向け、本場の運営手法を指導に来られたアメリカ人キャストのことを”カウンターパート”と呼びます。
ですから、カリフォルニアのディズニーランドとフロリダのウォルトディズニーワールドから来日されたキャストの皆さんということになります。
私が入社した当時は、
ディラクターやマネージャークラスの偉い方が来日されていて、
ディズニーランドの運営における”組織作りやマニュアル作り”などの
指導をされるカウンターパートがいらっしゃいました。
その時は、まだ少人数だったのですが、
年が明けると、その下のクラスの方々がぞくぞく来日されるようになり、
現場のショップやレストラン、アトラクション、カストーディアル等、
直接運営にたずさわる箇所で指導をされるようになります。
開園前の一時期など、日本人キャストの半分ほどのアメリカ人が
パークのあちらこちらに居たと記憶しています
そんなカウンターパート達と仕事をして、
”良い思い出”と”悪い思い出”がありますので、昔話だと思って聞いて下さい😁
”良い思い出”は・・・
カウンターパートに女性が多く存在していたという事です
今でこそ日本でも女性の社会進出が増え、女性上司など当たり前になってきていますよね。
でも、当時の日本では、女性がリーダーになる事がほとんど無く、女性の上司という方がほとんどいらっしゃらない社会だったんです
ですから、女性が上司としてバリバリ仕事をされている姿を見て驚き、嬉しくもありました
そんな女性達の働く姿を見て、
「やっぱりディズニーは進んでいるなぁ」なんて感動してしまった自分がいたんです
一方”悪い思い出”は・・・
カウンターパートが増えるにつれ、人間として疑問符が付く方が増えてしまったということです
これは、アメリカ人だから・・・という訳ではありません。
ディズニーのキャストは基本的にフレンドリーでコミュニケーション能力が高く、笑顔が素敵な方が多くいらっしゃいました
でも、中には笑顔も無く、お金だけの為に嫌々来日された方がいたようで、日本人を見下し、コミュニケーションをあえて取らない方がいらっしゃったのも事実です
ある方など、仕事には来るのですが、
「早く返りたい」
「何故私がこんな東の果てに来なきゃいけないの💢」など
愚痴をこぼしながら仕事をされていました。
そんな姿を見ていると「人としてどうなんだよ💢」と腹が立ってしまったことがありました
確かに、会社に言われ嫌々地球の東の果てに来たかもしれませんが、
「嫌なら断れば良かったじゃん」と内心思ってしまったんです。
これが、”良い思い出”と”悪い思い出”です。
そんな開園前は、日本人とアメリカ人のいろいろな感情が交差しあいながら、日本初のテーマパークを創る為に奔走していた事だけは、
間違いない事実だったのです
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さて、今日のお話は以上です。
”悪い思い出”に書かせていただいたキャストですが・・・、
後になって感情がおかしかった理由が判明したんです。
その理由とは、”小さなお子さんを残し日本にカウンターパートとして来日されてしまったから”というものでした。
おそらく、カウンターパートの人数が足りず、ディズニー側も無理矢理送り込んできたキャストだったようなんです。
今考えれば、アメリカ以外の日本でテーマパークを作る事になり、アメリカ側も混乱していたんでしょうね😆
日本もアメリカも混乱の中で開園に向けて頑張ったということですね。
では、また
元ディズニー親父の松本でした。