皆さんこんにちは
今日は、午前中、ゴルフクラブのグリップ交換をしていました
いつもならゴルフ工房にお願いしているのですが、
たまには自分で交換したいと思い立ち、頑張って交換にチャレンジしてみました
やってみると、1本目は大変でしたが、
2本目行こうスムーズに交換でき、
「そこそこやれるもんだな」なんて思った親父でござます
そんな火曜日は、「ディズニー開園前のおはなし」
今日も頑張って書かせていただきますので
宜しくお願いします
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年が明け、後四ヶ月後に迫った東京ディズニーランドの開園
オフィスは新しくなりましたが、まだまだ、商品は揃わず、キャストのトレーニングもままならない状況が続いていました
そんな、1月の寒い朝
新しいオフィスへ出社していくと、会社の入り口で”大きな野太い声”が聞こえてきます
「おはようございます」
「今日も頑張って仕事に励みましょう」・・・と。
「いつもは静かな入り口なのに、今日はやけに騒がしいなぁ」と思っていると、
なんと
その声の主は社長の高橋さんではありませんか
社長自ら入り口に立ち、私たち従業員へ挨拶をされている光景が見えてきたんです
それも、寒い朝なのにコートを着ることも無く、マフラーや手袋もすることも無く、
いつものスーツ姿の高橋さんが出社している全員へ声をかけてくれていたんです
それまでと言えば、なかなか高橋さんに会う機会はありませんでした。
会った記憶としては、
入社試験の時と”倒産宣言”と週刊誌に書かれ全社員へ説明をされた時、
それに社内で2回か3回ほどすれ違った程度。
そんな社長が声を掛けてくれているなんて・・・
その日の寒さも吹っ飛ぶほど感激したことを覚えています
それにしても、何故、突然、入り口で挨拶をしてくれたのか・・・
後から気づいたのですが、
この4ヶ月が勝負時と判断されたからこそ、自ら先頭に立って挨拶をされたのだと判りました。
逆を言えば、それだけ、切羽詰まった状況が1月でも続いていたんです
事実、私も毎日が残業の嵐
今では言えないような残業時間となっていましたし、
「ホントに開園できるんだろうか」とぼやく毎日だったんです
ただ、この社長の顔を見たことにより、
また、この高橋さんの野太い声を聞いたことにより、
志気が高まったことは間違いありません
私でも「この男についていくぞぉぉ」なんて思ってしまったのですから。
そんなトップの熱い思いが、原動力となって、その後大きな加速を生み、
開園までノンストップの動きに変化して行きました
この体験は、今でも思い出すほど強烈に印象に残ったものです
たかが、社長の挨拶だと思われるかもしれませんが、
身体で”思い”を私たちに感じさせてくれた高橋社長にはホントに頭が下がります
この方の下で働けたこと、今でも誇らしく思えるのですから
その後、高橋社長とは組合活動でお会いする機会が多くありました。
そこでも、”男、高橋”を何度も見ることが出来ましたし、
”男が惚れる男”だと思える方でした
そんな方がトップだったからこそ、
それまでの日本には無い”テーマパーク事業”を誕生させることが出来たんだと
私は思っているのです。
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今日のお話はこれでおしまいです。
皆さんは開園を成功させた”高橋政知”という方をご存じでしたか
今では、誰もが知る東京ディズニーリゾートですが、
”肝が据わった男”高橋政知がいたからこそ、
浦安の漁師を動かし土地を埋め立て、
国を動かし大店舗法を開園に間に合わせ、
大株主を動かしテーマパークを継続させることが出来たんだと思います。
※このお話しの詳細はナイショ😁
さらに・・・
アメリカ以外にディズニーランドを造らないと考えていたディズニー側を動かし、
今の日本の娯楽を一段も二段も底上げさせることが出来た一因になっていると思えます。
そんな”高橋政知”にもし興味を持たれましたら、是非、調べてみて下さい。
きっと、今の日本に足りないトップの姿が見えてくるかもしれませんからね。
では、また来週
元ディズニー親父の松本でした。