国内の金価格の指標となる田中貴金属工業の店頭小売価格が、21日午後2時時点で1グラムあたり2万7,287円となり、過去最高値を更新した――。
その一行のニュースが、私の記憶の奥に、長く封印されていた引き出しをそっとノックした。

 

机の奥。
普段は決して開けない場所だ。そこには、書類でも写真でもない、「触れられる過去」が眠っている。

 

私は引き出しを開け、木箱に収められた三枚の金貨を取り出した。

 

1990年から1997年にかけて、仕事の報奨金として受け取ったものである。
当時の金価格は、1グラムあたり約1,500円。
32グラムの金貨が2枚、16グラムの金貨が1枚。
計算上は、合計80グラムになるはずだった。

 

念のため、計量器に載せてみる。
数字は静かに揺れ、やがて79グラムで止まった。

 

 理由は分からない。

だが、事実はいつも、感情ではなく数字として現れる。

 

気になって金貨を調べてみると、カナダ王室造幣局(Royal Canadian Mint)が発行する
メイプルリーフ金貨であることが分かった。
国際標準であるトロイオンス(1オンス=31.1035グラム)を基準に製造されている金貨だ。

 

当時の価格で換算すると、

79グラム × 1,500円 = 118,500円

 

報奨金としては、決して大きな金額ではない。
むしろ、記憶の奥にしまわれていても不思議ではない額だった。

 

 

だが、今は違う。

現在の価格で計算し直すと、

 

79グラム × 27,287円 = 2,155,673円

 

電卓の表示を見た瞬間、私はほんの少し、息を止めた。
30年余りの時を経て、価値はおよそ18倍に膨らんでいた。

 

増えたのは、金の価値なのか。
それとも、円の重さが軽くなっただけなのか――。
その答えは、新聞のどこにも書かれていない。

 

金価格の高騰は、単なる資産価値の上昇ではない。
円の価値の低下、世界的なインフレ、地政学リスクの高まり。
それらが複雑に絡み合い、ひとつの数字として表面化した結果にすぎない。

 

机の奥で、誰にも知られず眠っていた金貨は、
この30年の日本経済と通貨の変化を、証言者のように沈黙のまま語っている。

 

私は再び金貨を包み、そっと引き出しを閉めた。

 

この金貨が再び日の目を見るのは、おそらく2035年以降になるだろう。
それまでに、何が変わり、何が変わらなかったのか。
その答え合わせは、まだ未来の事件簿の中にある。

 

2035年。
人の身体と社会のあり方が変わり、
この金貨が軽くなっていることを、私は思い描いている。
そんな国であってほしい。