学校法人先端教育機構より新年のご挨拶のメールが届いた。それを目にしたとき、私はふと考えに耽った。事業構想の場から、果たして「創造」は生まれるのだろうかという疑問である。

 

事業構想は、既存の知識やフレームワーク、生産要素を組み合わせ、構想として整理し、実現可能性を高めていく営みである。しかし、真に独創的なアイデアや創造そのものは、必ずしも学びの場から生まれるものではないのではないか、と感じた。

 

むしろ、独創的な発想や創造が先にあり、それを形にするために学びに行くその順序のほうが自然なのではないか。事業構想とは、創造を生み出す場というよりも、すでに芽生えたアイデアを現実の事業へと昇華させるための場なのではないか、そんな考えが頭を巡った。

 

事業構想大学院大学では、事業構想を「生産要素を投入し、永続的に利益をあげる組織・集団の理想の形」と定義している。ここでいう生産要素とは、ヒト、モノ(技術)、カネ(資金)、そして知といった経営資源を指す。永続的に利益を上げ続けるためには、常に変化する社会に適合し、社会の一翼を担い続ける存在であることが不可欠である。

 

そのため本学では、既存の需要分析から割り出される新規事業にとどまらず、「このようなものがあったらよい」「このような企業や社会を実現したい」といった理想から発想・着想し、新たな需要を生み出す事業を構想することを重視している。理想を起点に事業アイデアを描き、ビジネスモデルを構築し、経営資源を深く分析しながら、必要に応じて外部との連携も取り入れ、実現可能な構想計画としてまとめ上げていく。本学は、本気で事業構想に向き合い、企業や社会を変えていく人材の育成を目指している。

 

一方で、私が問題提起したいのは、専門職大学院全体が抱える構造的な課題である。専門職大学院では、多くの場合、学費を企業が負しており、修了後には企業側から当人に対して高い期待が寄せられる。すなわち、高度な知見や新たな価値、具体的な成果を組織に持ち帰ることが、暗黙の前提となっている。

 

しかし現実には、修了後に明確な成果や新しい価値が生まれないケースが少なくない。知識や理論は身に付いても、それが実際の事業、サービス、組織変革として結実しない状況が存在している。

 

私はこの点を、MOT(技術経営)を学ぶ社会人学生に講義をしたときに感じたことがあった。MOTは本来、技術や知をいかに事業化し、社会的価値へと転換するかを問う学問である。しかし、学びが個人の理解やレポート作成の段階で完結してしまえば、企業にとっては投資回収のない教育に終わってしまう。

 

問題は、個々の受講者の能力や努力ではない。むしろ、学びを成果へと転換するための設計そのものが弱い点にある。修了要件が単位取得にとどまり、在学中や修了後に成果が検証されない構造では、成果が生まれなくても制度上は失敗にならない

本来、専門職大学院は人を育てる場であると同時に、社会や企業に価値を生み出す装置でなければならない学費を企業が負担している以上、修了後に何が変わり、何が生まれたのかが問われるのは当然である。

 

それにもかかわらず、修了すること自体が目的達成とされ、具体的なアウトプットやサービス、事業創出が可視化されない現状があるとすれば、それは個人の問題ではなく、制度として再考されるべき課題である。