就職後1,2年②仕事 | 摂食障害克服、でも鬱になった。リワーク手記

摂食障害克服、でも鬱になった。リワーク手記

うつ病休職中です。復職に向け、リワークに通うことになりました。鬱になるまでの振り返りやリワークを行う過程、感想をつづりたいと思います。

すっかり更新が滞ってしまいました。

リワークに週2、診察に週1通っているだけですがその他の時間にゴロゴロしたりつい遊んだりしてしまっており、反省しています。週5日通常勤務ができる段階になるまで、規則正しい生活に身体をならしながら自分と向き合っていきたいと改めて思い直しています。

今回は就職後数年の私の仕事生活について書きたいと思います。

就職後初すぐに私は管理系の部署に配属されました。同部署の同期は私以外に総合職の男性5人、一般職の女性1人でした。部署全体では本社社員で80-90人ほどで、そのうち東京にいるのが7割程度でした。同部は時間に厳しく、総合職は就業開始時間の約1時間前に出社するのが好ましいとされており、課長以上は就業開始時間の1.5-2時間前に到着している方がほとんどでした。(私の部署には細かい役職はあまりなく、派遣の方、一般職の方、総合職、課長、2-3人の副部長、1人部長といったくくりしかありませんでした。)
仕事内容は、最初の1,2年間は現場を知るというような方針で事務作業をすることがほとんどでした。その中で総合職は、業務改善案や諸々トラブルの根本的な解決案を提出する等、自分から仕事を見つけ実行することが好ましいとされていました。

私が最初に割り当てられた仕事は量も少なく単純なもので、時間がたくさん余ってしまいました。私は、最初の1年間は、ただ事務をこなすだけでなく、何か学んだり建設的なことをしなければと気持ちが焦る一方で、実際は上手く行動できておらず事務作業に終始してしまうようなところがありました。2,3年目になると事務担当はさらに少なくなり、出来ることもそれなりに見出し、上司に業務効率化案を提出して実行したりマニュアル作成や他部署との折衝係のようなものをしていました。

こういうことを毎日コツコツ積み上げていけばよかったのだと思います。ですが、私の中で「自分はこんなものではない、もっと何かできるはずなのに」というような過信があり、はやる気持ちがありました。しかし与えられた仕事は満足いくものではなく、だんだん仕事外で自分の価値や居場所を見出そうとするようになりました。
直属の上司は毎年代わり3人経験しましたが、どの方もそれなりに認めてくださいました。しかし、会社(部署の上層部)とは直接関わるような機会は滅多に与えられないので、毎朝早く出社したり資格を取るなどでしかアピール出来ない一方、私にはそれがができておらず、少し怠け者の若手社員というイメージを与えていたと思います。

何れにしても、日系の大企業なので、本来であれば入社5-6年の段階で大きな差はつかないはずですが、私は抜きに出ないとと気持ちが焦る一方で行動は上手く伴わないよくない循環でした。今思うと与えられた仕事を誠実にこなすことが一番だったのに、焦っていておバカだったなぁと思います。

入社3年目の時に部長(私のいた部署では担当役員を除いてNo.1の役職でした)が変わり、部の雰囲気もかなり変わりました。それまではどちらかというと保守的な雰囲気でしたが、新部長は革新的な雰囲気で、恒例行事の廃止や左遷、降格人事なども露骨に行う方でした。

その年の秋に母の末期癌がわかり、私は翌春の異動を望みませんでした。しかし、どのような意向でかわかりませんが、12月の内辞で中国行きが決まりました。その頃は私は母のことは半分諦めていたこともあり、海外が自身の飛躍のきっかけになればなんて安易に考えてしまっていました。

実際は、母は1月に他界し、中国生活は私の転落へと繋がってしまいました。

次も同じような内容になってしまいますが、入社後数年の仕事と生活について具体的エピソードを絡めて書きたいと思います。

更新が遅れた上に面白くない内容でスミマセンf^_^;