《人間全て塞翁が馬》 | 摂食障害克服、でも鬱になった。リワーク手記

摂食障害克服、でも鬱になった。リワーク手記

うつ病休職中です。復職に向け、リワークに通うことになりました。鬱になるまでの振り返りやリワークを行う過程、感想をつづりたいと思います。

突然トピック変えてしまい申し訳ありません。

人間全て塞翁が馬
という言葉を、心に留めるようになりました。今の私にとってこの言葉は自分を励まし心を落ち着かせてくれる言葉です。

意味は、ご存知の方も多いと思いますが、

⇨人間の吉凶や禍福は、転変極(きわ)まりがないということ。 
=人生では禍(わざわい)がいつ福の因(もと)になるか分からず、また福がいつ禍の因になるか分からない。吉凶福禍の転変は測り知れず、禍も悲しむにあたらず、福も喜ぶに足りないということ。


由来は、こちらのページにありましたのでリンクを貼らせていただきます。

話が前後してしまいますが、お恥ずかしい話、 これまでの休職期間中には、まともに治療に向き合わず家でずっとベッドにいるような日々も長くありました。そうすると余計に気分が落ち込んでいき、父に「私の人生は転落してしまいもう這い上がるような気力もありません。幸せなんて感じることはないのに寿命が来るまで永延と生きるのが辛いです。」というような親不孝極まりないメールを数え切れないほど送りました。その度に父は、「◯◯(私)はまだ若いし能力もあるのだから、いまは躓いていても今やるべきことをやっていきさえすれば、いつかかならずまた人生は開け、幸せになれるから。」というような内容の返信をくれました。その時は辛くて仕方なく、そういう返信が返ってくることがわかっていて藁にもすがる思いで泣き言を言ってしまっていたのですが、いまこうして少し回復し、身の回りのことをしたり読書をしたりおしゃれをして遊んだりリワークに通ったり…を少しずつできるようになってきて振り返ると、寡黙な父の励ましの言葉にはただの慰めだけではなく人生経験のなかでの実感があったのだと感じられるようになりました。

父の年齢(60代前半)になると、会社でも家庭でもいろんなことを経験してきたのだと思います。
私が最も辛い時に話をいろいろ聞かせてもらいました。

◯悲しいことですと、順調な人生を歩んでいた旧友が若くして大病と闘うことになったりご本人やご家族が早くに亡くなったりしたこと、同僚が幸せな結婚式を挙げた後しばらくして破局してしまったことなど
◯良いことですと、自身が左遷に近い人事を受けた時に気にせず与えられた仕事を一生懸命やったことで時代の変化も相まって役員として戻ることができたこと、社長をしていた父の友人が50歳前後で会社をたたんだけれど後に医学部に入り直して今は精神科医として精力的に人助けをしていることなど

もちろんそれぞれの方の人生の一部分を切り取って幸不幸などはわかりません。また、こんな出来事など長い人生を生きてきた方でしたら当たり前に経験されてることかもしれません。

でも私は視野が狭くなっていたので、当時の辛い気持ちしか見えずそういうことがわかっていませんでした。

今は、
人間全て塞翁が馬
という言葉を頭に浮かべると父の話が思い出され、まずはこの状況になったことを受け入れ、病気になり向き合うことで今まで感じられなかった幸せを知ることができるかもしれないし、今後幸せだと思えた時も何があるかわからない分その幸せを噛み締めて生きれば良いと穏やかな気持ちになれる気がするのです。
まだまだ先は長いですが、父には本当に感謝しています。