お父さんの判断基準 | 五右衛門風呂って気持ちよかー

五右衛門風呂って気持ちよかー

昔懐かしい五右衛門風呂。その五右衛門風呂に関する色々な情報をご提供できればと思っております。

コンビニ大手ファミマが、レンジで温めて提供するおでんの販売を、本日より約6,000店舗で開始した。

鍋で作るおでんに関して、加盟店からの不評に応えたものという。

 

レンジで ”チン” なら、確かに手間もかからず、ロスもでないだろう。

が、味だとか、おいしそうな雰囲気というか、そんなものはやはり鍋に分があるような・・・・

 

自分はコンビニのおでんは買わないが、このファミマの判断がどう出るか?

 

 

来年の冬には、やっぱり鍋に戻って・・・・

 

何て気がしないでもない(笑)

 

 

よーーーし、今日はお気に入りの雑誌 「致知」 から記事を紹介しよう。

 

 

~致知BOOKメルマガより転載~

 

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自らの判断と意志の力で環境に対する
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今から五十年くらい前でありますが、
私の家では絶対的な、いわゆる正しい意味での
自由主義でありました。

 

中学から先は、朝は絶対起こしてくれません。

 

たとえ朝寝をしていても絶対に起こしません。

 

なぜなら学校へ行くくらいのことは
自ら考えてやるべきことでありますから、
自分で考えろということであります。 

 

私は中学二年の時に、ちょっとした悩みがありまして、
父のところに手紙を書いて送りましたら、

 

「それは自分が考えて決めなさい。
お父さんはお前が考えてよいということなら賛成だし、
考えて悪いと思うことには反対である」

 

とそういうふうなことが書いてありました。
その時は、誠に愛想のない手紙だと思いましたが、
今にして思いますと万事そうでありました。

 

そのかわり、専門を決める場合にも
何をやれとかどこへ行けとかいうことは
一切干渉をしません。

 

「お前が考えて正しいと思うことは父も賛成である、
お前が考えて悪いと思うことは私も反対である」

 

そう言われると、考えざるをえないのであります。

 

今にして私は、ずいぶんと自由というなら
これ以上の自由はないと思うのでありますが、
私の父に感謝するのであります。

 

中学時代からほとんど相談といっても
だいたい自分で考えて
「こうしようと思うがどうでしょう」
という程度でありました。

 

「どちらの方がいいか」という相談は、
ほとんどしたことがないのであります。
これはまあ私には少なくとも、
たいへんありがたいことでございました。

 

結局、よいとか悪いとか、
やってはならんとか、
やるべきとかいうようなことは、
自ら考えて自分が自分に最後の命令を
出すものであろうと私は考えております。

 

その意味では教育にはふたつある。

 

ひとつは他人から受ける教育であり、
もうひとつのほうは自分が自身に与える教育だが、
その方がより大切であるというギボンの言葉は、
本当だと思います。

 

世の中いろいろなことがありますけれども、
結局は幅の広い生活は、もしそこで負けなければ、
人生はより深くなるのであります。

 

ですから単調な、いわゆる苦労のない生活よりも、
苦しくとも幅のある生活をしておる方が、
人間の一生としては大きいと思います。

 

しかし、それには自分に対する
しっかりした決定力を自分自身が
もたねばならんと思います。

 

ですから、環境は大事だと申しましたが、
人間にとっては環境そのものではありません。

 

環境に対する反応をいかようにするかと
いうことが大事であります。

 

そのことは自らの判断と自らの意志の力だと思います。

 

しかしこれはありがたいことに、
いくつになってもそう簡単ではありません。

 

自らが自らに与える教育というのを
しっかりと手にもつということは、
七十の我々にとっても決して
簡単なことではないのです。

 

したがって若い諸君には
さらに困難であろうと思いますが、
結局練習であります。

 

ひとつお互いにがんばりましょう。

 

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脳神経解剖学の世界的権威であり、
第16代京都大学総長を務められた平澤興先生。

 

その平澤先生が講和会で話された内容である。

 

 

最近は、少子化に伴い、一人っ子やせいぜい2人。

子供に手をかけられるものだから、教育ママゴンに、教育パパゴン。

 

「あーでもない、こーでもない。」

「子供の望むことは何でもしてあげなきゃ。」

 

言い過ぎかもしれないが、まさに手取り、足取りで過保護すぎるような感じがしないでもない。

 

 

それと、

「子供のために」 とか言いながら、実は親の自己満足に過ぎなかったり・・・・

 

 

正月明け、テレビで子供12人という大家族の番組が放送されていた。

両親で美容院を経営し、奥さんはそれこそ3時間程度の睡眠にもかかわらず笑顔を絶やさず子育てしていた。

 

その長男が20歳になり、両親と同じ美容師を目指すことになった。

 

父親は、

「20歳になったので家を出ていくように。自分もそうしてきた。」

 

初めて一緒に飲んだ居酒屋で、そう、長男に告げた。

 

自分の足で立って、自分の力で生きて行けるよう、単に甘やかすだけでなく、厳しさを教えるその姿に感銘を受けた。

 

 

上記の講和の内容に戻るが、

70歳を過ぎた、平澤先生でも、自らに与える教育は簡単ではなかったとの話。

 

 

54歳の自分はまだまだ、鼻垂れ小僧。

 

自分を律する事が難しいのは当たり前。

そう思っていっちょ頑張りますかーーーーーー(笑)