島根大学の医学部が、患者自身の骨を加工した「骨ねじ」を使用して骨折部分を固定する新たな治療に取り組んでいる。
10年で12人ほどに手術し、10人は術後の経過が良好という。
うーーーん、単純に考えて自分の細胞なのでこれは良い。
「金属などは冬場に冷える」何ていう話を聞く。
これなら、そんな問題も当然皆無だし。
実施例がまだまだ少なすぎるが、こんな良さそうな治療はどんどん一般的になって欲しい。
よーーーし、今日はタイトルについて。
お気に入りの雑誌 「致知」より、記事を紹介したい。
*偉人メルマガより転載
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【美空ひばりと「川の流れのように」】
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美空ひばりさんはずっと歌を歌ってきました。
自分のわがままで何をしたいとは
ほとんど言わなかった。
こうせざるを得ない状況でやるはめになったことを、
そのまま淡々と、ああだこうだ言わないで
やってきただけ。
その結果として病気になって、
さあ、あと少しで死ぬかもしれない
という状況になったときです。
秋元康という人が『川の流れのように』という
歌詞を書いて他の歌手の歌で出す予定だった。
美空ひばりはその歌詞を見て、
「この歌を私にちょうだい」
と言った。
万感の思いを込めて「この歌を歌いたい」
と思ったのです。
そのときは、もう命が風前の灯火だった。
・ ・ ・ ・
死ぬ半年ほど前から、美空ひばりは
舞台に自分の足で立つことができなかった。
だから緞帳(どんちょう)が下がっている
状態のところに車いすで連れていってもらって、
そこで何人もの人の手を借りて立たせてもらった。
立たせてもらったら車いすは下がって、
立った状態で緞帳が上がった。
すると、歩けないはずだった美空ひばりが
2時間ものステージで歩き回って歌ったのです。
心臓を調べた医者が驚いた。
2000CCしか肺の中に空気が入らないのに
3600CCぐらいの肺活量で歌っている。
これは理解ができないと言った。
息が続く。
「ああ一」
と音を伸ばすためには3600CCの肺活量が必要なのに、
この人の肺には2000CCしか空気が入らない。
どうして3600CCの空気が出てくるのか
わからないと言った。
「奇跡としか考えられない」
と、その医者は言いました。
この死を間近にして美空ひばりが最後に歌った歌が
「川の流れのように」です。
・ ・ ・ ・ ・
自分の意思で、自分のわがままで
生きてきたのではない。
いつの間にか知らないうちに
女王に祭り上げられて、
すごい人ということになったけれども、
彼女は自分のやりたいことを押しとおすために
人をかきわけ押しのけて
女王にのし上がったのではない。
やらされることを「はいはい」と言って
やってきたら女王と言われるようになって、
歌謡界の最高峰に立っていた。
それを思い出したときに、
美空ひばりは本当に万感の思いを込めて
「川の流れのように」を歌ったのだと思います。
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久々に、ユ-チューブで、「川の流れのように」を聴いてみた。
記事を読んだ後だからかもしれないが、やっぱり心に沁みた。
美空ひばりが亡くなる前、到底ステージに立てる状態ではなかったという事は何かで聞いて知っていた。
が、「川の流れのように」は秋元康が書いた歌詞で、他の歌手に提供する予定だったのを、美空ひばりが欲しがったという事は全く知らなかった。
己の死が迫る中、この歌詞に、よほど思うものがあったのだろう。
ステージの外では歩けないのに、いったん立たせてもらえば、ちゃんと歩き回り舞台をこなす。
医者も、医学的に説明がつかないとしか言いようもない。
ただ、真偽のほどは分からぬが、かつてこんな話を聞いた事がある。
ある時、武士が実際に着ていた、何キロ(もっと?)もある、鎧をある男の人が試に着せられた。
とてもではないが動けるような重さではなかったので、
「こんなものを着て、戦う何てとてもではないが信じられない。」 と正直な気持ちを吐露した。
ところが、そう喋る男の人に、模造剣を突き付けたら、さっと動き身を守ろうとした。
同様に、”火事場の馬鹿力” で到底持てないはずの荷物を一人で動かした何て話も聞く。
人は極限状態に追い込まれれば、普段は眠っている力を発揮するのかもしれない。
それにしても、
”一芸をとことん磨き、死の際まで舞台に立ち続ける”
この記事を読んで、美空ひばりの生き様を改めて見せつけられた。
人の心を打つには、やっぱりとんでもない努力、強靭な精神が必要なのは間違いないようである。