今の自分が何故今の自分であるのか知るため

自分に大きく関わりが有った人が、何故そういう人であったか。

そのルーツを考える試みの3人目

父二郎の中編である。

 

二郎は小学5年生の時父親が無くなり、(母親は幼少の時既に亡くなっていた)

一人で一晩船に乗り、父方の実家にやってきた。

そこには従兄弟の良美が既にいた。良美は私の母である。

学校の成績は優秀だったそうだが、中学卒業後住み込みで就職した。

 

まあそこまでは普通と言えば普通である。

一年後母の良美の卒業にあたって、良美も元々就職の予定だったそうだが、

良美の担任の梶原先生が、母の祖母に

「こんな優秀な子をこのまま就職させるのはもったいない。進学させるべきだ。」

と直談判したらしい。

母の祖母は説得されて、母の良美は看護学校に進学した。

その際梶原先生は、内申書の成績をオール5にしたそうだ。

 

男である二郎が何も思わないはずはない。そう思ったのは、私が随分大きくなってからである。

子供の頃からこの事実は知ってはいたが、二郎がそのことに何を思うかなど想像しなかった。

また、子供の頃はそのような心の余裕も無かったのかもしれない。

 

二郎はまず、劣等感を持ったのだろう。

「お母さんはオール5、わしもそれほどじゃないけど5は四つくらいは有った。お前は何の努力もせんでも5が二つくらいはあるような頭に産んでやっとる。通知表に5が二つしか無いんはお前が何の努力もしてないということじゃ。三つ目の5からお前の努力と認めてやろう。」

に始まり、母がオール5であったということは、通知表を持って帰る度に言われていた。いや、もっとだ。

母の方が「そんなに言わんとって。」と言っていた。

母に「本当にオール5じゃったん?」と聞くと

「体育や音楽は5じゃ無かったんよ。」と言っていた。

内申書の成績だけがオール5だったと後から知ったが、父の二郎はことあるごとに母の良美はオール5だったオール5だったと、やたらにこだわっていた。

 

私が30代になってからだと思うが、母の良美からこんなことを聞いた。

「お父さんが就職で島を出て行くとき・・・・・・相当寂しかったじゃろな。」

「どういうこと?」と聞くと、母は一切詳しいことは話してくれなかった。

話せないようなことがあったということだろう。

話してくれないので勝手に想像してみた。

あくまで想像ではあるが、彼らの祖母か、伯母の誰かが、

「これで食い扶持が減った。(良かった。またはこれで楽になる。)」とでも言ってしまったのではないか。

もしそうなら、その時は確かに寂しい、あまりに寂しい出来事である。

 

そのうえで上記のように母には進学させた。

それは二郎にとってどういうことだったか。

当時は女よりも男が大事にされた時代。祖母から見て、二郎も良美も同じ孫。

それなのに自分は進学させてもらえず、良美には財産をなげうって進学させた。

それは既に劣等感というものを通り過ぎて、怒り、恨みもあったかもしれない。

劣等感にしても、強烈なものだったろう。

祖母や伯母だけではない。

梶原先生のように、「優秀なんだから進学させないと勿体ない。」と言ってくれる人もいなかった。

もちろん、オール5の成績にしてくれることも無かった。

 

私が物心ついてから、仕事から帰ってくるのは父よりも母の方が遅かった。

父は不機嫌に寝転がっているだけで、一切家事はしない。

どんなに遅く帰ってきても、食事の準備から始まって

食事が終われば、夜の洗濯、干す、たたむ。すべて母の仕事だった。

母に乞われて、ほぼ毎回私が手伝ってはいた。

「皆でやれば早く出来るよ。タッタカタッタカター。」と私に言うのである。

しかし、母は父に手伝ってほしいと言ったのを聞いたことがない。

というかむしろ私が、「お父さんにも手伝ってと言うたら?言えんのやったら僕が言をうか?」と言うと、

慌てて「お父さんには言わんでええ。」といつも止められた。

それが不思議でもあり、また、忙しそうに動く母を見ても何もしない父に、私は腹を立てていたものだ。

 

父二郎は、同じ孫でありながら、しかも自分が男でありながら進学させてもらえず、母が進学した。

だから自分は良美に対してその埋め合わせをしてもらっても然るべきという気持ちが有ったのではないか。

母良美もまた、ただ単に依存性パーソナリティー障害だから言えなかったというだけではなく

同じところで育った同じ孫の自分たちなのに、

自分だけ進学させてもらったという引け目、負い目を持っていたのかもしれない。

 

二郎は、前編に登場した従兄弟の矢内幸之助だけでなく、母の良美にも強烈な劣等感を持っていたのだ。

幸之助氏は本家でお金が有ったので進学させてもらった。しかも天下の京大に阪大の大学院。

良美は同じ家に住んでいながら、しかも女の身でありながら進学させてもらった。(財産をなげうって)

自分はというと、住み込みで就職(そしておそらく厄介払いのように言われた)

 

さらにその就職先は、二郎の人生にとって良い場所ではなかった。

それは後編で

 

 

 

 

 

 

今の私が何故今の私であるのか知るため、

私が子供の頃に大きな影響を受けた人物が、なぜそのような人であったのかを

その生い立ちから推察する試み、その3人目。

今回は父の二郎の前編である。

 

父の二郎は大阪生まれ、兄と妹の三兄弟。

父の父は二郎が小学5年生の時に他界した。

父の母は父が幼少の時に既に他界していた。

祖父が他界した時、伯父(父の兄)は、自分は働き、

二郎は父方の実家に、叔母(父の妹)は母方の実家に預けることを決めたそうだ。

伯父は、幼少の叔母を母方の実家に連れて行ったので、

父の二郎は小学5年生の身で単身、船で一晩かけて父方の実家に来た。

そこには既に母の良美がいたのである。(二人は従兄弟である)

父二郎は母良美と共に、彼らの祖母の家で祖母と二人の叔母(三木菱さんとおていさん)に育てられることになった。

 

父二郎も学業は優秀であったと聞いている。

父の学年が卒業するとき、送辞は一学年下の母良美が代表として読み、

答辞は父二郎が卒業生代表として読んだそうだ。

母良美は中学を首席で卒業、それは母の中学の恩師である梶原先生が証言しているから間違いない。

梶原先生の奥さんは、「二郎君も答辞を読んだんじゃけん、首席だったんじゃと思うよ。」

と言うが、梶原先生からはそうだとは聞いていない。「二郎君も優秀やったよ。」と言うだけである。

 

二郎は中学卒業後、伯母三木菱さんの娘の嫁ぎ先の会社に住み込みで就職する。

もちろん、伯母三木菱さんの口利きである。

高校はNHK学園の通信高校が最終学歴である。

 

中学の同級生には父の従兄弟が二人いた。

一人は中学喧嘩ナンバー1の北岡さん

もう一人はブログに何度か登場した矢内幸之助さん

矢内幸之助さんは矢内家本家の長男、中学卒業後高校へ進学、

高校を首席で卒業し、京都大学に進学、大手繊維メーカーの研究所に就職する。

優秀だということで、企業から大阪大学の大学院に進学させてもらったということらしい。

 

「わしより頭が悪かった幸之助でさえ、三波高を首席で卒業して京大に行ったんやけん、中学で一番やったわしの息子なんじゃけん、お前は三波高は当然首席で卒業して、東大くらいは行ってくれるんじゃろうのう。」

・・・こう言われるのが本当に嫌だった。

が、小学生の時から高校生の時まで何十回言われたことだろう。

 

私は高校進学時に矢内幸之助さんと同じ三波高を選んだ。

そうすると、一番どころか尻に近い成績の私に二郎はまくし立てた。

「わしより頭の悪かった幸之助でさえ、三波高で首席じゃったんぞ。なんじゃお前の成績は。」

「幸之助でも京大ぞ。東大くらいは行ってくれや。」

そういう二郎に、こう問うてみた。

「自分なら東大に行けたと言うん?」

二郎は答える 「わしは親がおらなんだから、進学する金がなかっただけじゃ。金が有って進学できとったら、三波高では当然1番で卒業して東大くらいは行けとる。さすがに東大では1番にはなれんじゃろうけどのう。」

私は続ける 「どうして試験も受けたことないのに、自分は東京大学でも行けとったと言えるん?」

二郎はこう答えた。「わしは中学で1番じゃったけんじゃ。一番の者は何処に行っても一番なんじゃが。」

私はさらに言う。「あのなぁ、三波高には田舎の中学の1番が何人も来とる。三波高の1番は一人じゃろ、中学の1番じゃけんというて、三波高の1番にはなれんのよ。当り前のことじゃろ。」

すると二郎はこう切り返した。「そういう奴は本当の1番じゃない奴じゃ。東大の1番は高校でも中学でも1番じゃないんか?わしは本当の1番じゃけん何処に行っても1番なんじゃが。」

本当の1番って何?・・・もはや理屈が通ってない。ただ言い張るだけ。話しても無駄である。

現実にやってないことは妄想できる。現実を知らないのだから。

自分が妄想するのは勝手にやってくれればいいのだが、それをこちらに持ってこられても困るというものだ。

 

何故ここまでこだわるのか。全く意味不明だった。

私が30代になってもそれは続いていた。

「本家と分家と言うのは出発点が違う。ほじゃけん、わしの方が頭がええのに幸之助には後れを取った。わしは相当な努力をして、あとちょっとで本家を超えるとこまで来とる。後お前がちょっとだけ努力をすれば本家を、幸之助を超えられる。後はお前が努力せないかんのじゃ。」

私はまだそんなことを言うのかとあきれていたが、こう答えた。

「僕はそんなことに興味はない。僕は自分のために自分の人生を生きとる。自分が本家を超えたかったら自分でやって。」

「本家と分家の差は大きいんじゃ。一代では超えられんもんじゃ。お前が二代目として超えないかんのじゃ。」

結局自分がしたいことなのに(つまらんことと思うが)自分でしないための屁理屈じゃないか。

そう思ったが、口には出さなかった。

 

それから数年後(くらいだったと思う)、母の良美からこんな話を聞いた。

昔、父と母がそろって矢内本家を訪ねた時、幸之助さんの母の麦さんが、二人に給料の額を聞いたそうだ。

それを二人は正直に答えたそうだ。そうすると麦さんは嬉しそうにこう言ったという。

「はははっ、二人の給料を足したら、やっと幸之助の給料に追いつくなあ。」と

母曰く

「私は『ああ、麦さんは息子の自慢をしたかったのか、あまりに嬉しくて、こんな失礼なことを言うと人が傷つくということが分からなくなるんだな。』と思ったけど、あの時のお父さんは相当怒っとったと思う。」

 

そんなことがあったのか。

それは怒って当然だ。・・・というか、強烈な劣等感を持って当然だ。

母として息子が優秀なことを喜ぶのはいいが、こういう言い方で優越感に浸り、人を傷つけてはいけない。

だが二郎も、それをまた自分の子供にこういう形で劣等感の解消を向けるのは良くない。

私にとってはとても迷惑な話だが、二郎の劣等感にもそれなりの理由があったのだ。

「東大くらいは行ってくれるんじゃろうのう。」という私をとても嫌な気持ちにさせた二郎の口癖のルーツには

二郎だけでなく、麦ばあさんの優越感に浸る言動が有ったわけである。

もっとも、悔しい思いをしたなら、自分自身が奮起して努力する分には何の問題もないのだが・・・・

自分が努力しないで人(子供)にさせる。

全く迷惑なことである。

 

二郎編は前編、後編のつもりだったが、中編を入れて三部にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が何故今の自分であるか考えるため、

子供の頃の私に大きな影響を与えた人が、なぜそのような人であったか、その人の人生のルーツを考えた。

今回は二人目、三木菱さん。

実の祖母ではないが、一時は同居していた。

 

前回母の母たるルーツでもお話ししたが、三木菱さんは母の伯母にあたる。

母の育ての親ともいえる3人の女性の一人である。

そして実は、父の伯母でもある。

ややこしいが、父と母は従兄弟なのである。

 

さて、三木菱さんは二人の子持ちの男性と結婚した。自身の子はなしていない。

義長男は結婚し、子をなしている。

おぼろげな記憶だが、この長男は菱さんが実の親でないことを知り、酒におぼれて肝臓疾患で亡くなったと聞いたことがある。

義長女も嫁いでいる。

その嫁ぎ先は会社を運営しており、菱さんは中学を卒業した私の父二郎を、住み込みでそこに就職させた。

しかし、その長女は若くして亡くなったそうだ。

私が生まれた時には、三木菱さんの義理の子供二人は既に他界していた。

 

私が小さいときのかすかな記憶には、三木のおじいさんの家は日本風の庭のきれいな家だった印象がある。

私が小学生の頃はその家はもう無く、三木菱さんはその家の近所に間借りしていた。

そこからたまにうちの家に来たり、しばらくうちの家に住んでいたりしていた。

おじいさんは医療付きの老人ホームのような所に居た。

今考えてみれば、そこに入るお金を作るために家土地を売って、やむなく菱さんは間借り生活をしていたのだろう。

 

亡くなった長男の嫁の円さんとその子、つまり菱さんからは嫁と孫にあたる存在が市内に住んでいた。

そちらの家族とともに暮らすことも選択肢の一つであったろうが、三木菱さんはそれを選択しなかった。

私たち、というか、自分が育てた姪、甥とともに暮らすことを選んだ。(三木菱さんと父の二郎については二郎のルーツで述べる)

子供の頃は、そのことに疑問は抱かなかった。

というか、長男の嫁とその子について、あまり知らなかったし、幼少の頃は自分の実の祖母と思っていた。

 

今から(私が30代後半の時)思えば、三木菱さんの私に対する言動には、なぜ菱さんが上記のような選択をしたのかうかがえるものが多々ある。

「他人はお前にいいことばっかり言うかもしれん、でものう清巳、本当に困ったときには他人は何にも助けてくれん。本当に助けてくれるんは、血のつながった家族だけなんぞ。世の中は鵜の目鷹の目なんじゃ。他人のええ言葉にほいほい付いて行ったら騙されるんぞ。」

これは母の良美からも似たようなことを聞いていた。

母も三木菱さんからこのようなことを度々言われて育ってきたのだろう。

これは子供を自分だけに頼らせて、自分の外に出て行かせないため(共依存にさせる)の魔法の言葉である。

もっとも、この時点(30代後半)ではこの言葉が嘘であることは十分知っていた。

 

「お前は誰のおかげで生まれてこれたと思うとんぞ。わし向いて拝んどけ。」

子供の頃はどうしてこんなことを言われるのか分からなかったが、30代になってから母からこんなことを聞いて理解できた。

「お父さんからプロポーズされた時、どうしてええか分からんかって三木菱さんに相談したら、『ええじゃろ』と言われたから結婚したんよ。」

菱さんは、私清巳がこの世に生まれ出でたのは自分が「ええじゃろ」と言ったからなので、自分に対して感謝しろということだったのだろう。

それにしても子供に対して「わしに向いて拝んどけ」とはちょっとどうかとは思う。

 

「お前は木の股から生まれてきたんじゃないんぞよ。良美から生まれてきたんぞよ。」

これも良く聞いたセリフだが、子供ながらにどうして木から生まれたじゃなくて木の股からと股をつける必要があったのか分からなかった。(笑)

そこは置いておいて、要は三木菱さんは血のつながりというものに極めてこだわった人であったように思う。

 

本人でないので、真の理由は分からないが、

自身の子を持てなかったこと。

2人の義理の子供が早くに世を去ったこと。

そのようなことから、血のつながった家族というものに強い憧れがあったのどと思う。

そしてそれが、実質親代わりに育てた姪に対する共依存に至る。おそらく・・・であるが。

少なくとも母良美の共依存は二世である。

母は、三木菱にとって学力優秀にして自分に依存してくれる子供そのものだったのかもしれない。

だからこそ毎日のように私に良美の学力の自慢をし、それが自分の指示、教育によるものだとまた私に自慢をする。

 

長男の嫁である円さんは熱心な宗教信者であったらしい。

円さんを自分の家族として選ばなかったのは、血のつながりが無かったことも大きな一因だが、おそらくもう一つ理由がある。

円さんは(精神的に)菱さんに頼らず宗教に頼るだろう。それでは三木菱さんとしては、自分の存在価値を確認できないということだったのではないか。

三木菱さんは共依存の相手として母の良美を選んだのだと思う。