自分が何故今の自分であるかを知るため
自分に深く関わりが有った人が何故そのような人であったか
その人の生まれ育ったルーツから考える
今回も父、その後編
後編は中学卒業後の住み込み就職編である。
私が30代のある日、母がこう言った。
「井口産業に就職したことはお父さんにとってマイナスだったと思う。」
私もそう思っていたのだが、何でも父の言う通りで決して逆らわない母の一言としては、
意外に冷静に父のことを観ているものだと思った。
私が子供の頃は、この井口産業での自分(父)と私を比べてよくダメ出しを喰らったり、嫌なことをさせられた。
①私が食事の時に嫌いなものを残そうとすると、
「それを食べるまでは次の食事はやらん。」
「えっ」
「わしが中学卒業して勤めとったときは、毎日麦飯やった。社長の家族は米の飯を食いよったのに。麦飯はまずい。わしが食わずに残しとったら次の飯を入れてくれんかった。何日でもぞ。」
何日でもというのは二郎お得意の大げさな表現なんだろうが、それなりの事実が有ったのだろう。
「わしは米の飯を食いたくても食えなんだが、お前には米の飯を食わせてやっとる。何を嫌いやから食べんなんちゅうわがままなことを言いよるんぞ。」
言うことは一応筋は通っているが、二郎自身は嫌いなものは残すので、子供としては納得いかないのだ。
②私が小学3,4年生の頃
「宿題が嫌じゃと。何をいよる。本当にお前は勉強せん奴じゃのう。今日から飯が済んだら11時くらいまでは勉強せいや。」
「えっ」
「お前は宿題みたいに人にやれと言われたことさえ、ええじゃ嫌じゃというてせん。本当の勉強というんは自分が自ら進んでやるもんじゃ。わしが働いとったころは夜の9時くらいまで働いとった。飯食って風呂入ってから、わしは誰に言われんでも、寝る時間を惜しんで製図とかの勉強を夜の2時3時までしよった。お前には11時まででええと言うてやっとんのに、そんなことも出来んのか。」
毎日2時3時までしていたとは疑わしい(実に嘘が多いので)が、まあ2、3日はそういう日もあったのだろう。
それにしても、比べているのが16,17歳の自分と、9歳くらいの子供なんだが。
➂小学生のある日、こんなことが日課として課せられた。
「明日から寝るときはわしの枕元に、来て正座して両手をついて『おやすみなさい』と言え、朝になったらまたわしの枕元に来て、正座して両手をついて『おはようございます』と言いに来い。分かったか、毎日やぞ。」
「そんなこと、友達誰もしよらんよ。」
「わしはしよったが。住み込みで働いとったときは毎日社長にそうせいと言われてそうしよったが。お前はわしに養われとんやから、せめてそう言うことでもして感謝の気持ちをあらわせ。」
あまりたくさん書くときりがないので三つくらいにしておくが、
これが嘘でないなら、住み込みで働いていた時は、毎日朝から夜遅くまで働き、社長家族は米の飯を食べているのに麦飯しか食べさせてもらえず、朝と寝る前は正座して手をついて挨拶するのを日課とされ、たまに夜遅くまで何かの勉強をして能力を身に着けようとしていた。という感じだろうか。
父二郎はこの井口産業での経験が嫌だったのだろうが、嫌なことを当の相手には嫌だと言えなかったのだろう。そして、自分より弱い相手ができると、そこに向かって仕返しをしてしまったのかもしれない。
もしかしたら当時井口社長に「お前を住まわせてやっとる。うちの給料でお前は生きている。」というようなことを言われていたのかもしれない。それが私に対しての、「わしがお前を養ってやっとんじゃ。」とか「誰のおかげで飯が食えとんじゃ。感謝を示せ」という言葉に繋がっているんじゃないか。
もっとも、自分が嫌だったことは他人、子供にはしないという考えと意志を持っていてくれれば良かったとは思うところだが・・・・
二郎は、井口社長のことを恨んでいたかもしれないが、自分も力を持ったら井口社長のようになってやろうという気持ちもっ強くあったのではないかと思う。
次のようなエピソードから、二郎がそう思っていたのではないかと思うようになった。
私が20代後半か30代前半だったと思う。二郎がこんな話をした。
「自分が住み込みで働いとったときに仕事で行きよったところが、当時珍しかった喫茶店の裏でな。そこがコーヒーのええ匂いが漂っとった。コーヒーというてもな、コーヒーのガラなんじゃ。ガラが裏のごみ置き場に捨ててある。そこからええ匂がするんじゃ。喫茶店でコーヒー飲むなんて言うのは、その時の自分には夢のまた夢じゃったが、いつかコーヒーを飲んでやろうと思ったもんじゃ。」
私が小学校低学年のころ、夜になって私を寝かせた後、居間で両親がサイホンでコーヒーを入れて飲んでいた。昭和40年代だから、自宅でサイホンコーヒーなんてどこの家でもそうそうしていることではなかった。
数年して、サイホンでコーヒーをたてることはしなくなって、ネスカフェのインスタントになったのだが、一時でも願いをかなえて満足したのだろう。
また、母から井口産業についてこんなエピソードを聞いたことがある。小学生にする話ではないのだが。
予定より1日早く奥さんが旅行から帰ってくると、井口社長と若い女の浮気の現場に遭遇した。
奥さんが「何しよるの!」と怒鳴ったら、女は片側だけハイヒールを履いて走って逃げていった。
ということが周りの人の語り草になっているのだと。
二郎の度重なる浮気は、自分も浮気が出来るような人間(井口社長のように)になりたかったということがあったのかもしれない。
私が浮気を責めた時、二郎は
「家庭を壊す浮気はいかんじゃろうけど、家庭を壊さん浮気は甲斐性なんじゃが。」
と高笑いをしたことを今でも許せない。
そもそも甲斐性といっても、母も看護師として働いているからこそ、そこ(浮気)に回す金もあるんじゃないか。
母の言う通り、父二郎にとって井口産業での経験は人生にとってマイナスであったろうと思う。
しかし、自分にとって嫌な、辛い経験であったとしても、それを昇華し自分の人生に活かす人もいる。
それが出来ず、自分より弱い存在にそのフラストレーションを向ける我が父親を残念に思う。