矢内電気の事務所がまだ売られていないときだったから、私が30代だったろうか。

矢内電気の事務所の電話が鳴った。

とったのは父の二郎。しばらく頷きながら聞いていたが、

「うちはそのようなことは致しませんので・・・失礼します。」

丁寧な電話対応だなと思ったが、受話器を置いたその瞬間

「おどれーバカにしやがってー」

と私の方を向いて怒鳴っている。

はっ、何だろうと父の二郎に

清巳「なんの電話やったん?」

二郎「金相場をやらんかという話やった。バカにしやがって・・・・」

清巳「そう思うんなら電話の相手に言うたらよかろ。そっちには丁寧な応対しておいて、こっち向いて怒らんといてや。」

そう言うとかえって逆上して

「お前に怒っとんじゃなかろうがー」

とやはり私に向かって怒鳴ってくる。目を血走らせて憤怒の表情。

 

子供のころはこういう状況が怖かった。

その頃も三つ子の魂百までの喩えの通り、まったく平気ではなかったが、

今は私も大人だし、武道の有段者。

父が殴ってくることもないだろうし、殴ってきても大丈夫と少しは余裕があった。

清巳「そうやって『お前に言よんじゃなかろがー』とこっち向いて怒鳴りよるじゃない。」

 

それから数日後だったと思う。何のきっかけだったかは忘れてしまったが、

 

清巳「子供の頃もそうやって八つ当たりしよったよね。家に帰ってきたとき不機嫌な顔をしとるときは大抵『最近のテストを持ってこい』、そして『99点が最低の点じゃ』だとか、『100点じゃなくても生きとれる小学生はええのう。』とか・・・・・・『作文見せい』という時は、作文の先生の赤字の添削を見つけては『こんな文章を書きよるようでは世の中では通用せん』とかよう言よったけど、あれは仕事かなんかで気に入らんことがあって家に帰って僕に八つ当たりしよったんやろ。」

二郎「八つ当たりなんかじゃないが。お前のために叱ってやっとったんじゃが。怒っとったんじゃない、叱っとったんじゃ。」

清巳「子供のために叱るのに、なんで目を血走らせて言わんといかんの?殴られそうな雰囲気もあったし、実際殴ったこともあったよ。」

二郎「子供の将来のために殴ってやらんといかんこともある。」

 

などなど問答が続いた。

 

清巳「この間の金相場の電話の時もそうやったやろ。未だに言うべき相手に言わんと、僕に向かって感情爆発さしとるやないの。ああいうのを八つ当たりと言うんよ。お前のために叱ってやったみたいな正当化は、大人になった僕には通用せんよ。」

 

しばらく考えていた二郎が

「おう、ほうよ、昔、八つ当たりしよったんよ。」

 

ああ、やっと認めた。

もしかしたら昔は八つ当たりして悪かったと謝ってくれるかなと一瞬期待した。

が、甘かった。

 

二郎「で、それがどうかしたんか?」

 

認めたには認めたが・・・・開き直ったか・・・

 

 

毎年正月は妹一家と私は矢内家のマンションに行く。

私としては姪っ子に会うのを楽しみにしているわけだが、年1回両親に会う機会でもある。

 

ある年の正月のことだ。

勿論もう母の認知症が明らかとなり、私のことだけ誰だか分からなくなっている状態だ。

さあこれから食事という場面で母の認知症の話題になった。(具体的な内容は忘れた)

その時母の良美が嬉しそうにこう言った。

「私、何~んも分からん。」

私は驚いた。

認知症の人は自分の認知症のことを認めたくないのではなかったか?

しかも、椅子に座っている母の足は、まるではしゃいでいる少女のようにバタバタと揺らしているのが机の下から見えている。

口調が嬉しそうなだけでなく、態度も極めて嬉しそうだ。

これは何なんだ。認知症であることがそんなに嬉しいことなのか。

 

その年だったか、違う年の正月だったか記憶があいまいだが、

矢内家でみんなが寄っているときに、義弟が私にこう言った。

「お義母さんのは本当の認知症じゃないですよね。」

どういうことかと尋ねたところ、

義弟「私の父は認知症です。自分で服のボタンも出来ません。私が服を着せてボタンをはめます。でもちょっと目を離すと勝手に脱いでしまっています。自分の大便を壁に擦り付けたりもします。」

続けて「お義母さんはそんなことは全くありませんよね。お義母さんのはちょっと違うと思います。」

確かに、認知症の実の父に苦労した義弟からしてみれば、良美の認知症は認知症らしくない。

いや、私の目から見ても良美の認知症には疑問がたくさんある。

 

認知症は脳内のアミロイド沈着がどうとか、脳の血管がどうとかいう医学的なことはさて置いて、

私なりに母の認知症の正体を考えていた。

 

良美は長年看護師として勤めあげてもらった退職金を全部二郎に預けた。

そのお金で二郎は自分名義の借金を全部返済した。母名義の借金を残してだ。

そして新たに自分名義でお金を借り直して、株にすべてつぎ込んだようだ。

この事実を私が知ったのは随分後になってからだが、そういえば二郎が私に

「借金というのはのう、全部返したら信用が出来て次はもっと高額の借金ができるようになるんじゃ。」

と自慢げに言っていたことがあった。

そして結局株に失敗してすべてのお金を失くしてしまった。母の退職金も、矢内電気の収入で借金を返していっていたはずの分も。高利のカードローンの新たな借金のおまけも付いて。

母の良美はその二郎を許すことが出来なかったのだろう。浮気三昧のことも勿論許せないと思う。

しかし、退職金も全部なくなった今、二郎に頼って生きていくしかない。

もともと依存性人格障害のような母であるからなおさらである。

だが、二郎に頼ってしか生きていけないという心と、二郎を許せないという心が母の中で大きく葛藤していたのだと思う。

その激しい葛藤を自分の中で受容、認識することが出来ない良美は、それ事すべて忘れるということを選んだのだろうと私は思う。

 

「良美に料理をさせていたら、火を消し忘れて火事になるところだった。危ないからもう良美には料理をさせられない。」

と二郎が言っていたこともあった。

もともと料理することが嫌いな母だったが、許せない二郎のためになにか料理を作らなくてはならないということから逃れるという利得が認知症であることで得られる。それもあったのだろう。

 

それらが母の認知症、そういうことだったんだろうと思う。

生きていくうえでそれしかなかったんだろう。

 

 

 

 

 

正月二日は妹の家族が矢内の実家に訪れる。

だから私も一応実家に行く。

姪っ子たちにお年玉をあげるためだ。

ある正月二日のこと、私が行くと、もう妹たちが来ていた。

私の顔を見た母良美が妹の妙子に言った。

「あれ誰?」

私のことらしい。

母は私の顔を見て、自分の息子だと分からなくなっていた。

「きよさんよ、きよさん」

と妙子が言うが、母は

「あれは清さんと違う。」

一年に一回しか会わないにしても、私以外のメンバーは全員分かる。

父や妹はもちろん、妹の旦那、姪っ子二人もはっきり分かるようだ。

私だけが良美の脳から削除されている。

私の顔を見ながら納得のいかないそぶりの母に

父二郎も

「お母さん、清巳よ。」

義弟も

「清巳さんですよ。」

「本当に???」母はしぶしぶ受け入れた。

 

この日より後は、私を見て「あれ誰?」と聞くようになった。

私は母の認知症もついにここまで進んだかと思っていたが、

それにしても私だけが分からない。何故なのか?

はじめは分からなかった。