矢内電気の元請け建築屋のインター住宅は年一回の安全大会を行っていた。
安全大会は、文字通り安全に工事するために元請け建築屋が必ず年1回しなくてはならない。
例年、安全に対する統計に話や体力測定、救急法などをしていたが、ネタが尽きてきたのかこの年は心理検査が行われた。
心の中に父、母、大人、自然な子供、適応した子供、反抗する子供がいるとして、どこに心的エネルギーがどれほどの割合で注がれているかを測るらしい。
(後で知ったがこれが交流分析のエゴグラムである。ただしこの時のやり方は通常のエゴグラムと違って反抗する子供『RC』という項目が入っていた。)
私のエゴグラムは、父(CP)が満点に近い高得点、母(NP)は3項目くらい、大人(A)は満点、自然な子供(FC)は1項目当てはまるくらいの超低得点、適応した子供(AC)は項目は覚えていないが満点の4割くらい、反抗する子供(RC)は満点の6割くらいの真ん中よりちょっと上だった。
エゴグラム測定の後に、このエゴグラムを基にとても面白いパフォーマンスが始まった。
「エゴグラムの○○が高くて××が低く、その差が〇以上ある人は立ってください。」
「この人たちはうっかりミスで、事故を起こしやすいので気をつけましょう。」 全員大爆笑
「次はエゴグラムの○○と△△が高くて〇点以上ある人立ってください。」
「この人たちは誰が見てなくてもいい仕事をする人たちです。」 全員大拍手
その他、このような感じでエゴグラムを基に人を立たせておいて
誰かが見ていないと仕事をさぼろうとする人など、面白いコメントをして大爆笑と大拍手の渦だった。
そして最後のころ、「CPとAが低くてFCが高くその差が○○ある人立ってください」
というところで父の二郎が立っていた。
「この人たちには会社の経営を任せてはいけません。」
このコメントに私は大爆笑しながら、『確かにな』と色々なそれに見合う出来事を思い出していた。
そして「あれ、おかしいな。」と気付いた。
講師の先生は、CPとNPは子供のころに親の価値観を知らず知らずのうちに取り込んだものだと言っていた。
二郎はCPが低い。私はCPがかなり高い。私のCPは誰から取り込んだものだろう。
母ではない。母は厳格な人ではない。
父は子供の私に対して何かにつけて批判し、人としてなっていないとか、努力が足りないとか、尊敬の念が足りないとか、人はああ生きねばならないこう生きねばならないとか言い続けてきた。
私のCPの高さはなるほど父のそういうところから来ているのだなとほんの数分前まで思っていた。
それなのに、当の二郎のCPが極端に低いとはどういうことか?
しばらく考えて出した私の結論は次のようなものだ。
二郎はもともと自分に対して厳格なCPなど持っていなかった。だが私を悪い人間であるように批判し、自分の都合のいいようなことをさせようと(本当はFCが高い)していただけではないのか。
つまり自分自身の価値観を私に言っていたのではない。
私をコントロールするために世の中はああだこうだと言っていただけ。
そう考えると子供のころだけでなく、今の仕事をするようになってからの二郎の言動行動で私が腑に落ちなかったことも、すべて符合するではないか。
それから数日後、また新たな変動が私の中で起こった。
私は『自分は子供で二郎が父だ』とずっと思ってきた。
戸籍上も血縁上もそうであるから、それを疑ったこともなかった。
しかしエゴグラムでは父の二郎はむしろ子供で、私の方が父親と大人の心を強く持っている。
私は親(父)の言うことを聞かねばならないと思ってきたし、逆らうことに罪悪感がありいつも葛藤していた。
私の方が正しいのではないかとの葛藤である。
だが、だがである。エゴグラムからすれば、
もしかしたら子供の二郎を、私が父と大人の心で教育してもいいのではないか。
そんなことを思いついたのである。
この交流分析のエゴグラムの体験が、私に心におおきな変化をもたらしたのである。