信長の野望 天道 佐竹家の野望 1554
- 1554年1月
- 因幡但馬:尼子勢鳥撤退開始。
- 佐竹義廉
長尾景虎は停戦を拒否してまいりました。
- 佐竹義昭
古河御所から宇都宮への救援軍はどうなっておるか?
- 佐竹義廉
集結は遅れております。いま12000ほどが集結完了しております。久留里よりあと5000の軍勢が急行中です。
- 佐竹義昭
宇都宮は守りきれぬやもしれぬの…もし宇都宮を失陥したとて必ず取り返すぞ!
- 羽後:伊達勢撤退開始。
- 1554年2月
- 佐竹義堅
おそれながら申し上げます。関東における今川の勢力は昨年10月の今川義元戦死以後、着実に減退しております。河越城の武田勢も5000を越えてはおりませぬ。河越城自体は武田勢を引きつける餌として残しておき、ここは小田原の今川勢を破りましょう。今川を関東より追い出すのは今をおいてございませぬ。
- 佐竹義廉
拙者も義堅殿に同意いたします。武田は岩付での敗北が響いておるようでしばらくは関東ではおとなしくしていることでしょう。
- 佐竹義昭
ふむ、今川勢を関東から追い出すことが出来るか。だが宇都宮に迫る長尾を撃退せねばならぬ。
- 佐竹義廉
申し上げにくいことながら、宇都宮からは戦略的に撤収し、一時的に長尾家の手に委ねてもよろしいのではないでしょうか?長尾景虎は戦上手として名が聞こえております。景虎と正面から争うは分が良くありませぬ。
- 佐竹義昭
宇都宮からの戦略的撤収は考慮するに値する。だが長尾勢の宇都宮来着まではもう暫く余裕がある。今のところは宇都宮の防備を固めることに専念せよ。そして撤収の件も計画を立てておくように。念のためだ。
- 佐竹義廉
かしこまりましてございます。
- 1554年3月
- 佐竹義廉
申し上げます。常陸に朝山日乗和尚がいらっしゃいました。和尚にお願いして長尾勢を撤退させましょう。
- 佐竹義昭
寺を作っておくものじゃの。こういうときは助かるものじゃ。早速和尚に和睦仲介をお願いする。使者を出せ。
- 佐竹義廉
承知いたしました。
- 下野:長尾勢撤退開始。
- 1554年4月
- 佐竹義昭
相模の今川に対して軍事行動を起こす。前段階として相模に通じる街道敷設を命じる。海側と内陸部にそれぞれ一本ずつ街道を敷設せよ。河越城の武田勢に対しては監視するにとどめる。
- 佐竹義廉
既に敷設部隊を出動させました。河越城は甲斐との連絡路を残して武蔵岩付、相模小田原との連絡は断ちます。残した甲斐との連絡路も街道沿いに砦を建築しております。武田勢が河越に入ろうとしても多大な損害が出ることでありましょう。
- 佐竹義昭
よし。敷設終了後、小田原征討の軍を挙げる。準備をしておけ。
- 佐竹義廉
ははっ。
- 南陸前:長尾勢西山城攻略。伊達家滅亡。
- 1554年5月
- 佐竹義廉
敷設完了しました。砦の建設にまだ時間がかかっておりますが、部隊の移動には差し支えございませぬ。
- 佐竹義昭
よし。小田原を攻め落とす。軍を出せ!
- 正木時茂
ははっ!
- 武蔵:佐竹勢26000相模伊豆侵攻。
- 1554年6月
- 正木時茂
申し上げます!小田原城より今川勢12000が迎撃に出た模様です。数日中に我が勢と接触する予定です。
- 佐竹義昭
小田原城は耐久が高い。敵を野戦で打ち破っておけば攻城の際に楽になろう。ものども、手柄を立てよ!
- 1554年7月
- 相模伊豆:佐竹勢25000、今川勢12000が会戦。
- 正木時茂
申し上げます!我が勢は小田原城外において今川勢を打ち破りました。小田原城攻囲に移ります。
- 佐竹義昭
耐久が高いの。包囲して攻め落とせ。足軽に無理をさせぬようにな。
- 1554年8月
- 佐竹義昭
小田原城を包囲したものの、城内の士気は高い様だの。
- 正木時茂
申し上げます!小田原城より石川数正勢5000が打って出ました!包囲していた我が勢は混乱に陥っております!この本陣も危険です!お引きくだされ!
- 佐竹義昭
油断したか!本陣の位置を後退、予備隊を呼べ。ええい、敵は寡勢ぞ!押し包んで討ち取れ!
- 正木時茂
石川勢は撃退いたしました。ですが我が軍も損害が大きく、このまま攻囲を続けるのは難しいと思われます。撤退も考慮くだされ。
- 佐竹義昭
やむを得ぬ。撤退するとしよう。だがむやみに撤退をしては追撃を招く。まずは包囲陣をまとめよ。そののちに整然と撤退する。駿遠の兵どもに見苦しい真似をさらすなよ。
- 1554年9月
- 相模伊豆:佐竹勢撤退開始。
- 摂津:本願寺証如死去。本願寺顕如が跡を継ぐ。
- 筑後:大友勢24000北肥前(龍造寺家)侵攻。
- 岡本禅哲
東北地方の情勢についてご報告がございます。東北では長尾勢の勢力が伸張、7カ国を領する大勢力となっております。昨年から今年のはじめにかけて我が佐竹領の下野に来襲したようにその戦上手ぶりは世に聞こえております。できるだけ早いうちに対応をなさいませぬと、手をつけられなくなる恐れがございます。
- 佐竹義昭
長尾の…。できれば相対したくない相手ではあるがの。それでも今は長尾から戦を仕掛けられたわけでもない。あえて敵を増やすこともなかろう。今は関東の制圧に注力するとしよう。
- 岡本禅哲
かしこまりました。それがしとしては義昭様が関東制圧に目を奪われ、東北の脅威を見逃すことのないようご注意を喚起しましたまででございます。東北長尾のことを片時もお忘れなきよう。一刻も早い関東制圧を願っております。関東制圧後、東北を征される際にはそれがしも先陣を承りたく存じまする。
- 佐竹義昭
わかっておる。先月は小田原攻略に失敗した。次は腰をすえねばの。河越城も思ったように武田勢を誘引する役割を果たしておらぬ。うまくいかぬものよな。
- 1554年10月
- 北肥前:大友勢村中城攻略。龍造寺家滅亡。
- 1554年11月
- 北陸前:大崎勢18000北羽前(長尾家)侵攻。
- 佐竹義昭
小田原攻めはうまくいっておらぬの。ここは先に河越を落としておくのもよいかもしれぬ。
- 佐竹義堅
河越は武田勢を関東に誘引して叩くためにいままであえて攻めずにおりましたが。
- 佐竹義昭
うむ。そのはずだったのじゃがな、なかなか思惑通りにはいかぬものだの。武田はほとんど河越を見捨てたようなものじゃ。武田が捨てた城なら佐竹が拾っておこう。小田原に兵を向ける際に河越の場所は重要になる。上野からの街道も扼すこともできるしの。義堅、そちはどう思う?
- 佐竹義堅
そうですな。兵を向けるのであれば拙者はやはり小田原を攻めるべきかと存じます。
まず、今川義元戦死後の今川勢の非積極性は注目に値いたします。これを逃す手は無いように思われまする。そしてもうひとつ、当初の河越城を罠に武田勢を誘引する策でございますが、いまは有効に機能しているようには見えませぬ。しかしこの策は小田原が落ちたのちに機能するのではないかと思っております。- 佐竹義昭
ふむ。そこまでいうのであれば義堅、兵20000を預ける。小田原を落としてまいれ。
- 佐竹義堅
かしこまりました。誓って小田原を攻め落とし、今川勢を箱根の西に追いやってくれましょう。
- 江戸忠通
おそれながら、小田原城は天下の堅城でございます。兵20000ではいかな義堅殿でも小田原を破ることはできますまい。増援をお出しになってはいかがでしょうか?
- 佐竹義昭
うむ。たしかに20000では心もとないかもしれぬの。だが今すぐに増援と言うわけにはいかぬ。古河御所よりの増援の到着を待ち、再編成後、わし自ら増援として追いかける。義堅、増援が追い付くまでに戦果の拡張をしておけ。手柄を立て放題じゃ。だが小田原にこもる兵が少ないとはいえ、前回石川勢などには痛い目に遭わされておる。油断するな。
- 佐竹義堅
かしこまりました。義昭様の増援の到着前までに出来うる限り戦果拡張を目指します。ですが義昭様、増援を急いで率いていただかなければ、我が勢が小田原を攻め落としてしまいますぞw
- 武蔵:佐竹勢20000相模伊豆(今川家)侵攻。のち増援を受け45000に増強。
- 1554年12月
- 佐竹義堅
小田原城外において今川勢6000を打ち破りました。小田原城攻囲に移ります。
- 佐竹義昭
よし、増援も到着した。小田原にこもる兵はけして多くはないぞ。小田原を打ち破れ!今川を関東より追い出すのだ!
- 相模伊豆:佐竹勢小田原城攻囲。
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