建物の外に出ると、ガラスのアーチ越しに夕空が広がっていた。
タイル貼りのゆったりとした通路はそのまま地下鉄の入り口へと通じていて、この会社に勤める人は雨に濡れずに通勤できるわけだ。
こんなに仕事仕様に整えられた道を、野田とおれは学生感丸出しの話をしながら歩いている。
「王子ファンの子たちがみんな噂してるよ…『王子には今ご寵愛の美少年がいる』って。
よくよく聞いてみたらその『美少年』は一宮くんだって言うじゃない。
一宮くんはノーマルだと思うけど、もし市原くんがその気だったら押し切られちゃうかもしれないなーと思って」
「あのさ、どうしてそういう発想になるかな…」
「市原くんの浮いた話が全然聞こえてこないからだよ。
そんだけイケメンなんだからモテて当然なのに…じゃあ女嫌い?てかソッチ系?って思っちゃうわけ」
「留学目指してりゃ恋愛どこじゃないって」
「それにしちゃ最近の2人は急接近してるって…一宮くんはファンの間でシンデレラ扱いされてるよ」
「シンデレラ…」
しばし絶句。おれはどういじられようと構わないが、一宮には申し訳ない気分になる。
「ところで、一宮のファンって」
「一宮くんは…私にとってヒーローなの。多分向こうは覚えてないだろうけど。
小学生のとき一緒のサッカークラブだったんだ。
自分で言うのもなんだけど、当時私けっこう上手くて、男の子に混じって試合とかばんばん出てたの。
そしたら、もう名前忘れたけどどっかのチームの奴らが、女に得点されたのがよっぽど悔しかったみたいで、
『お前女って嘘だろ。男じゃないって証拠見せてみろ』って、5人くらいで私のこと取り囲んで、
そしたら圭輔…一宮くんが助けてくれたの」
一宮のことだから、たとえば野田のことが好きとかそういうんじゃなくても、クラブの仲間がトラブルに巻き込まれているのを見て真っ直ぐに助けに行ったんだろう。
小学生の一宮の姿が目に浮かぶようだった。
「住んでる町が違ったから中学までは別々だったけど、同じ高校にいるってわかったときは驚いた。
でも私 文系だから、もう同じクラスになれないの決定だし。
王子ファンの子から様子を聞くのが今ささやかな楽しみなの」
「じゃあ再会はしてないんだ?」
「そりゃそうだよー。なんのきっかけもないのに突然行けないよ」
「おれにはいきなり声かけたのに」
「それとこれとは別ー。
市原くんは私から見てただ普通のイケメンだけど、一宮くんはなんかもう、気持ち悪いくらい特別になってて。
それに私、背こんな伸びちゃったし。
一宮くんと1cmしか違わないんだもん。こんなデカい女、たぶん一宮くんのタイプじゃないと思う」
身長か…一宮と女の話、まして好みのタイプの話なんか全くしたことないけど、あいつ自身が低いことを気にしているのは確かだ。
「それにしても1cm違いって、そんなことまでわかってんのか」
「そこは、女子の情報網ってやつ。
身体測定の結果なんか、意中の人とクラスが同じ子に頼んで教え合うのはお約束だよ…市原くんなんて有名人だから、177って私も知ってるぐらい」
「プライバシーも何もあったもんじゃないな」
「それだけ注目されてるってことだから、我慢して」
地下鉄のホームで延々と他人の噂話。
一宮は今頃くしゃみしてるだろうか。
やがて、おれの帰るのとは逆方向の電車が入ってきた。
「じゃ、私、こっちの方が乗り換え便利だから」
野田は軽く手を振って、開いたドアに向かっていくと、もう一度振り返って、
「できれば…一宮くんには手を出さないでね?」
手を合わせ、わざと勿体つけたように言った。
「当たり前だろ」
ドアの閉まる音に紛れてしまって、おれの返事は届いたかどうか。
走り出す電車とともに野田が風のように去っていった。
なんだか、野田のペースに巻き込まれて、気づいたらいろんなことを話した気がする…今日が重大な面接だったことすら、忘れてしまいそうなぐらい。
でも悪い気分ではなかった。
何より、一宮のいいところをわかっている子がいる…アップデートされていないのがちょっと難ではあるが。
その事実が心を浮き立たせていた。
モテないなんて気にしてたけど、あいつ、ちゃんと想われてるじゃないか。
一見サバサバとして、ぎょっとすることをいきなり尋ねるかと思ったら、自分の身長を気にしてはにかんでしまう野田の姿は微笑ましかった。
もちろん、おれから一宮に何か言うつもりは全くない。
そんなことは当人のタイミングに任せるに限る。
だが、なんだろう、顔がにやつく。
これはまるで兄の心境。
ダメだ、この件は封印しよう。
明日からは試験で、浮かれてる場合じゃないのだ。
ホームに滑り込んできた列車を迎えながら、何かくすぐったい気分が止まらなくて、まるでおれが恋してるみたいだ、と自分に苦笑した。