dolce | sgtのブログ

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歌うことが好きです。コロナ禍で一度はしぼみかけた合唱への熱が''22年〜むしろ強まっています。クラシック音楽を遅まきながら学び始める一方、嵐の曲はいまも大好きです。


(一部変更しました)

まだまだ迷える子羊ですので、
借り物の素材を使わせてください。
また事後報告ですが…









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dolce











デザートが運ばれる頃になると、混雑していた店内もいくらか落ち着いて、空いた皿を探して回るウェイターの動きもゆるやかになっていた。

とは言っても人気のある店、賑やかな話し声や笑い声が絶えずあちこちから上がっていて、デートにはちょっと不向きかもしれない。

でも料理が美味しくてお互いの職場から来やすいせいか、まずここで食欲を満たしてから次の行動に移る、というのがこのところ私たちのパターンになっていた。


「で、これからどこ行こうか?」

「それが、…今日はここまでなの」

「えぇ⁉︎ なんで?」


店内の空気が一瞬固まる。
強い語気というのは笑いさざめきとは周波数が違うのか、どんなにざわついている中でも不思議と突き通ってしまう。
あの席のカップル揉めてる?
みたいな視線を感じて、私たちは縮こまった。


「なんでだよ、久しぶりなのに」

「ごめんね、私だって残念だけど…」

「…まさかこの後 別の男待たせてて、俺は時間潰しとか?」

「そんなわけないでしょ、もぅ…」


ぶつぶつと、拗ねたようにこぼすあなたに、私は精一杯の優しい声で応える。
周囲の視線は、私たちの空気がさほど深刻でないと判断すると、徐々に元のお喋りに戻っていく。


「実は急に母が泊まりに来ることになって。
食事の約束があるから遅くなるとは言ってあるけど、…それでもあんまり遅いとまずいでしょ?」

「…」

「今日はここ私が持つから」

「…」

「ね、機嫌直してよ…」


だんまりモードに入ってしまった。


私だって、なんで今日、って思う。
逢えることを心の支えになんとか仕事もやりくりしてきたのに、午後の休憩中「今夜そっち行くわね~♪」という母からのメッセージを見た瞬間、思わず天を仰いだ。
活動的な私の母は、友達としょっちゅう出かけては、私の部屋を宿泊所代わりに使う。今日のような当日連絡も珍しくない。
嫁入り前の娘が悪さしていないかチェックしなきゃ、なんて言って、自分が遊び歩く口実にしてるけど…。
おかげで私は、一人暮らしでも男の人を部屋に呼ぶことは絶対にできない。
デートの邪魔までしてたらアナタの娘はいつまで経っても「嫁入り前」よ、と心の中の母に悪態をついた。


目の前のヒトはむすっとしている。
これじゃせっかくの美味しいチョコレートケーキも台無し。
いっそキャンセルした方が良かったのかな。
でも逢いたかったから、せめて食事だけでも一緒にって思ったのに。


二人で無言で向き合ったまま、濃厚なはずの味気ないケーキをちまちまと口に運んでいると、


「…爪」

「へ?」


咄嗟にぽそっと呟いた言葉が聞きとれなかった。


「その、爪。変わった色だから」

「あぁ、これ?」


年度始めは無難なコーラルピンクにしていたネイルを、爽やかな季節に合わせて、思いきってミントグリーンのグラデーションに替えたのは先週のことだった。
男性受けのしない色と割り切って選んだのだけど、気づいてもらえるとそれだけでも嬉しい。
それよりこの重苦しい空気の中、ぶっきらぼうな言い方でも、そっちから歩み寄ってくれたのが意外だった。
一度拗ねるとご機嫌をとるのが大変な、わがままな人だと思ってたのに。
ちょっと会わないでいた間に何があったんだろう。


「どうかな、こういう色…私にとっては結構冒険だったんだけど」

「うん、いい…んじゃないの。似合ってるし。季節的にも」


訥々と語られる、確実に嬉しい言葉。
ここで帰らなきゃいけないのが本当に惜しくなってきた。


あなたが、見して、と手を延ばしたので、私は従順に、そこに自分の手を乗せた。


「へぇ、ここだけ、キラキラしたのが付いてんだ…」


あなたは一粒のラインストーンを珍しそうに観察していた。
指環があまり好きではない私は、左手の薬指にだけ小さな石を置いてアクセサリー代わりにすることがある。
でもそんなのつまらない自己満足なのに。
どうして今日はこんなに気づいてくれるの?

あなたはちらっと私の方を見た。
私はすっかり上機嫌になっていた。
このまま手に、王子様みたいにキスしてくれるんじゃないかしら、なんて期待してると、

あなたは
おもむろにその薬指を、
自分のお皿に残った生クリームに、
突っ込んだ。


「え、ちょっ…!」


今度は私が思わず大きい声を出しかけて、慌てて口を噤んだ。

そんな私を気にする風もなく、
あなたは得意そうに
クリームのついた指を私に示して、
私の目を覗き込みながら、
その指を、
自分の口へ。


「な…」


私は唖然とする口を右手で覆いながら、左手を引っ込めようとしたけど、平然とした表情と対照的に手の力だけはやたら強くて、手首を固定された状態で動けない。

私は、しまった、と思った。
まんまと罠に嵌められた。
あなたが先に声を発したときから、
たぶんこの悪戯は始まっていたのだ。

私たちの席はお店の一番奥。
あなたは壁の方を向いて座っているので、他のお客からも、ウェイターからも、あなたの表情や行動は仕切られて見えないけれど、逆に壁を背にしている私は、下手に動くと周囲からまる見えになってしまう。

…という、自分の置かれた状況に気づいた私を、あなたの目が笑って見つめている。
私はあなたを睨んだけれど、薬指が深々と人質に取られてしまって圧倒的に不利な状態。

あなたの口の中で、
クリームが体温で融けて、
ぬるりとした油分が指を包む。
それをぐるっと舐め取られる感触に、
思わず身がすくんだ。

あなたはさらに楽しそうな目をする。
喉がごくりとクリームを飲み込む。

私は、自分の肩が軽く震え血流が慌ただしくなるのを感じた。
ついさっきまでの浮かれた気分が一気に、その指一本の感覚に集中してしまって、意識が追いつけていない。
呼吸がリズムを忘れかけて口が開いてしまいそうになる。

あなたは 爪を飾るストーンを
まるで剥がし取ろうとするかのように
甘皮がふやけそうなほど
舌先で執拗にそこを往復した、
かと思うと 掌側を掠めて
薬指と中指の間の指の付け根を
くるくると優しく撫でまわす。

その部位が呆れるほど無防備なことを、私はこの時初めて知った。
ぞくり、とする信号が思わぬ器官に伝わり、全身に広がるざわめきに抗おうとして思わず脚に力が入る。

それでも私は、静かに息をついてなんとか自分を取り戻すと、表情はつとめて平静を保ったまま、あなたの瞳に対峙した。

ここで取り乱したらつまらない。
どのみち今夜この後はないのだから、
あなたのこの悪ふざけに
いっそ乗ってしまうのもいいかも、
なんてことを考え始めていた。

賑わう店内で、
一言も交わさずに見つめ合いながら、
あなたの舌が私の薬指だけに、
音もなく激しく抗議している。
これって、なんだか、

我を忘れそうになったその時、


「いっ…!」


鋭い痛みがきて突然自由になった。

あなたは してやったりと言いたげに、私の左手を恭しく差し出した。
油脂と唾液にまみれた薬指は邪心の象徴のようにぬらぬらとして、ストーンの輝きさえ偏光して見えた。
そして第二関節のすぐ下に、赤く噛み跡がついていた。


「俺を置いて帰る罰だよ」


あなたはそう言って、テーブルナプキンで私の指を優しく拭き、歯形以外は何事もなかったかのような状態にして返してくれた。









ひとり電車のドアに頭を凭せながら、私は、思いがけず今日の主役となった指を眺めていた。
この奇妙な指環の跡を、帰宅までに絆創膏か何かで隠しておかないと、母に何を言われるか わかったものではない。
でも、いまはストーンよりも存在感を主張している、この赤い印をまだ見ていたい。
これをつけたときのあなたの表情と、
生温かく滑らかな感触と、
舌の刺激が痺れみたいに蘇ってきて、
身体の奥が熱くなる。

後から思えば悪だくみの一部だったのかもしれないけど、先に話しかけてくれて、急にネイルを褒められたときは本当に嬉しくて。
その後のこの悪戯だって、あんなにたくさんの人がいる中で、大胆に二人だけの秘め事を実行してしまうなんて。
時間にすれば5分あったかどうかの間にこんな気分にさせたあなたが、すごく男っぽく思えた。
いつも偏屈で捉えどころがなくて、それがちょっと頼りない感じさえしていたのに、今日はずっと主導権を握られっ放しで、それがむしろ心地よくて。
集中的に弄ばれたストーンにまで なんだか嫉妬してしまう。
今日のあなたと、もっと一緒にいたかった。
心底、母が恨めしくなった。

でも降車駅まではもう少しある。
母のことは降りてからにして、今は時間の許す限りあなたのことを考えていよう。
私は携帯を取り出し、あなたへのメッセージを打ち始めた。