こちらの記事の続きです。
前回の記事を見て、
「何を言ってるんだ。 国によっては
日本を敵国視しているところもあるし、
テロなどの危険性もあるから
国籍によって入国審査を
厳しくするのは仕方がない。
女性専用車両だって
現実的に女性の痴漢被害などが
多発している以上、
そういう対応を取るのは当たり前じゃないか」
と思われた方がいらっしゃるかもしれません。
そうなのです。
これらは「差別」ではありますが、
現実を考えた場合、
認めざるをえない「差別」なのです。
ただ、
「これらは『差別』ではなく、『区別』だ」
と考えるのも、ちょっと違うように思います。
なぜなら「区別」は、
「解消する必要がないもの」だからです。
男性用トイレと女性用トイレは、
単なる「区別」だということは、
前回のブログに書きました。
そしてこういった慣習は、
今後も別に解消する必要はありません。
(LGBTの問題などは別にして)
ところが、国籍による
入国審査の問題は違います。
本来は世界中が平和になり、
全ての国々との関係も良くなるのが理想です。
最終的にはどこの国から入国する際も、
簡単な入国審査で済むように
なることを目指すべきでしょう。
女性専用車両の問題も同じです。
世の中から痴漢のような
迷惑行為が無くなり、
女性専用車両なんか
必要なくなるのが理想です。
つまりこれら2つの問題は、
「今現在は仕方がないが、
最終的には解消を目指すべきもの」
なのです。
そういう意味においても、
「区別」とは明確に異なります。
要するに世の中の差別に関する問題は、
「区別」、「許される差別」、
「許されない差別」の
3種類に分けられることになります。
このうち一番重要なのは、
「許される差別」です。
これを解消していけば、
世の中がより良い方向に変わっていくからです。