【大阪市西区二児餓死事件】もうすぐ10年 その④ | 子どもを守る目@関西のブログ

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このコミュニティーは、育児不安・育児困難を抱えた方をサポートしたい、そんな思いで生まれました。

「学ぶ会」「セミナー」「お茶会」などを通して、
子育てについて語り合い、学び合い、出会いや繋がりを作っています。

あの事件をきっかけに、大阪全体で様々な取り組みが行われました。

「自分に何が出来るだろう?」と動いた人が沢山いました。

 

NHK大阪放送局さんは1年かけて「子どもを守れ!」キャンペーンを行い、

ニュース、特集、ドキュメント、ドラマ…様々な発信をしてくださいました。

 

事件をもとにつくられた「私たちにできること」を考えることが出来るドラマ

やさしい花

親に罰を課しても児童虐待はなくなりません。
育児困難な環境を変えないと、悲しい事件が繰り返されます。

 



以下、事件の判決が出た時に書いたブログです。

懲役30年。

2人の命が亡くなったのだから、重いのか軽いのか…私にはわかりませんが、

「予防の見地も無視できない」

とおっしゃられた裁判長の言葉には納得です。

 

様々な記事が出ていますが、最後に裁判長のおっしゃられたことに、

私は救いが持てました。

 

毎日新聞さんより引用します。

 

『一方で西田裁判長は、周囲の援助を受けていなかった下村被告の境遇に

 

「仕事と育児に限界を覚え、孤立感を強めており、同情の余地がある」

 

と一定の理解を示した。

 

そして最後に

 

「このような被害者が二度と出ないよう、社会全般が児童虐待の防止にいっそう努め、

子育てに苦しむ親に協力することを願う」

 

と言及した。』

 

更に、産経新聞さんの記事、

 

『「彼女は凶悪犯ではない。もう少し救いを求めていれば、

社会も助けてくれたのではないか」。

 

こう話したのは、30代の女性裁判員。

別の裁判員も

 

「何かが一つ変わっていれば、ここまでなることはなかった」

 

と述べ、シングルマザーとして2人の子育てに悩んでいた下村被告の境遇をおもんぱかった。』

 

私も傍聴を通して、単純に、

「若いシングルマザーが自分の欲求を優先させた」では済まされない問題だと思いました。

 

そして裁判長の言葉で、安心した、というか、わかってくれていたんだ…と救われた言葉が、

 

「事件が起こった最初の原因は、離婚の時の、子どもらのことを考えていない話合いだった」

 

でした。

 

本当に子どもたちのことを愛しているなら、

養育費の話はどこかのタイミングで確実に出るはずです。

(被告人の借金も離婚の原因の一つなので、被告人にお金がないことは元夫も家族も了解済みでした)

 

そして、被告人は子どもに会ってもらうことを望んで連絡をしたのに、

その願いを断り、離婚後一度も子どもと会わなかった元夫にも、深く反省して欲しいです。

 

子どもたちにとっては、変わらず父親です。

親権のある母親が会わせたくない…と言っているなら仕方ありませんが、

むしろ、会って欲しいと願っていたのに会わないのは、

子どもたちの存在さえも無視した育児放棄ではないでしょうか?

親権がなかったら許されるのでしょうか?

疑問を感じます。

 

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週刊ポストに掲載されていた「杉山春」さんの記事を引用します。

 

『公判で弁護士は「社会的経験、収入、生活の場が不安定な早苗さんに子供が委ねられたのは無謀ではないか」と言った。私も同じ印象をもつ。』

 

『私は1年程前、大阪府警本部の接見室で早苗さんに会った。~中略~

「なぜ、会ってくれたのですか」そう尋ねる私に早苗さんはおっとりと答えた。

「子供たちの仏前にお菓子を供えてくださったと手紙にあったからです」

それは我が子が受けた親切に丁寧に礼をいう、母親の物腰そのものだった。』

 

『東京の高校で一人暮らしをしていた早苗さんは父親を思いやって手紙を書く。~中略~

<私の夢は、いいおかあさんになることです。世界一温かな家族にすることです>』

 

幼い頃に両親が離婚し、虐待を受けて育ち、温かな家庭を知らずに育った彼女には、

温かな家族が何かがわからなかったのでしょう…。

 

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彼女は何度もSOSを出したのに、現実の支援が全くなかったことが、

彼女を追い詰めた一番大きな要因だと思います。

 

SOSを出した時に、すぐに誰かが彼女の元に駆けつけていたら、

事件は起きなかったかもしれません。

 

誰も彼女の元に足を運んでいなかったから、

放置することとなってしまいました。

 

今回の裁判傍聴を通して、苦しんでいる人がSOSを出した時に、

心をこめてキャッチできる人間でありたいと痛感しました。

 

一人ひとりが少しずつ歩み寄れたら…もう少し生きやすい社会に変わると信じています。

彼女と同じような苦しみを、もう誰にも抱えて欲しくないです。

 

最後に、記者さんとの会話で出た言葉で、傍聴記を終わりたいと思います。

 

「彼女が30年後に社会に出てきた時に、社会は何も変わっていませんでした…ではダメなんです。

大きな宿題を出された気分です」