有色人種解放の英雄
戦争責任を問われた東条英機、東京裁判で有罪とされた。
もう死んでしまおうと自殺をしようにも死ぬことは叶わなかった。
死ぬことも、眠ることも許されない。
東条英機は処刑を目の前に「三首の辞世」を詠んだ。
・さらばなり 有為の奥山 今日超えて
弥陀のみもとに 行くぞ嬉しき
・明日よりは 誰にはばかる ところなく
弥陀のみもとで のびのびと寝ん
・日も月も 蛍の光 さながらに
ゆく手に弥陀の 光り輝く
この世のみなさん、さようなら。苦しみ悩みの人生を今日超えて、極楽浄土へ 行くのが嬉しい
明日からは、誰にも気兼ねせずに 極楽浄土で のびのびと眠ることができます
太陽や月の光も蛍の光のようにぼんやりしたものです。行く手に光り輝く無限の光へ向かう今の明るい心に比べれば…このような意味がある。処刑された後は阿弥陀さまのいらっしゃる極楽浄土へ生まれ変わると信じ切ったのだろうか。
東条英機はこの三つの辞世を残し、十二月二十三日 死の十三の階段を上ったとき、アメリカの憲兵に「有難う、是非、あなたも弥陀の本願を聴いてください」と言い残したのです。
処刑の日を待つ東条英機は昭和天皇のはからいでしょうか、浄土真宗のお上人の説法を聴く機会を与えられたのです。そして仏教に帰依されたのでしょう。
昭和天皇 終戦時の御製 四首をお詠みになられました。昭和二十年 四十五歳の時でした。
・爆撃に たふれゆく 民の上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも
・身はいかになるとも いくさとどめけり ただたふれゆく民をおひて
・国がらを ただ守らんと いばら道 すすみゆくとも いくさとめけり
・外国(とつくに)と 離れ小島に のこる民の うへやすかれと ただいのるなり
終戦時、悲痛なお言葉をふりしぼりだされました。自分はどうなっても構わないから国民を守りたい思い。伝統ある我が国を守りたい。そんな陛下の思いを受けて取ることができます。
無益に人を殺すような、殺し合うような戦争はしてはならない、侵略戦争ではなく、亜細亜解放戦争だったとしても戦争はしてはならない。
核兵器は全人類を失う。昭和天皇は代々受け継いできた天皇としてのお役目を果たしたのだろう。東條英機はその心を受け、戦争責任を穏やかに負うことができたのだろう。
そこには仏教と言う信仰があった。仏教の信仰とは人生の根本問題に触れることであったのだろう。
昭和天皇と東条英機は有色人種解放の英雄だと日本人として誇りに思う。