東京裁判、東条英機 | 素直なこころでつぶやこう

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 受け継がれた仏陀の心

 

東條英機は謝罪を述べ、戦争犯罪者として処刑される。

東條英機は侵略戦争ではなくアジア解放戦争、世界の人種差別をなくすために戦いを始めた。

しかし、どちらにせよ、民間人、子ども、女性、お年寄りまでなんら罪のない人びとが殺され、兵士たちも死んだ。兵士たちは互いに殺し合わなければならなかった。こんなことが起こってしまった現実に対しての責任は重かっただろう。争いなく平和を保つことが出来なかったことを悔やんだであろう。

 なぜ、こんな戦争をしたのか、その理由をはっきりさせるために連合国は十一人の判事(裁判官)を世界(インド、オランダ、カナダ、イギリス、アメリカ、オーストラリア、中国、ソ連、フランス、ニュージーランド、フィリピン)から集め、日本が戦争を行った理由について審議するために東京裁判を行った。その十一人の中の一人にアジア代表でインドの裁判官であるパール判事がいた。

 日本が行った大東亜戦争の責任は全て日本にあり、侵略戦争であったという勝利国の判事の裁定に対して「あの当時は全世界を植民地にしていた列強国の中で日本が行った戦争は侵略戦争ではなく自衛的側面があり、このことを根底に入れた採決をすべきである」と冷静に伝えられたのだ。パール博士は東京裁判インド代表判事として、A級戦犯全員の無罪判決を主張したのだった。

 

 今から遡ること二千五百年前、この地球上のインドの地に仏陀が誕生した。

 仏の教えを広めることで、争いのない世を作ることができた釈迦(仏陀)。

 釈迦が入滅後、仏法は廃れていく。しかしその百年後にアショーカ王が誕生することで再び仏教が栄る。

 カシミール、ガンダーラ、ギリシア、ヒマラヤ、ミャンマー、スリランカなどのインド以外のアジア国へと広まり争いのない豊かな国々が栄えていきました。アショーカ王は柱や石などに法勅をたくさん残されました。その法勅は「王である自らが仏法を重んじ動物の犠牲を減らすこと、薬草を備えたり木を植えるなどのつとめに励むこと」などが刻まれていた。

 仏陀となられた釈迦からアショーカ王へと渡された法。

 これは脈々と繋がってきたのでしょう。血筋と輪廻、命のバトンとして。

 アショーカ王の柱に刻まれた碑文はイギリスの占領下時代は地下へと埋まっていた。守りたかった先人たちの願いだろう。

昭和十八年十月二十一日、英国より独立、首班はチャンドラ・ボース。インドは独立した。