今回取り上げる季語は雛祭で春の季語となります。
雛祭と言えば雛段を飾って、白酒、菱餅に桃の花を供えて、蛤のすまし汁にちらし寿司でお祝いする風景が思い浮かびます。
現在は新暦の3月3日が雛祭するところがほとんどですが、旧暦の3月3日、新暦でいうと3月下旬から4月上旬にお祝いする地方もあります。
雛祭は桃の節句ともいい桃の花が咲く3月下旬から4月上旬に行われるのが季節感に合うと思います。
世界の動きに合わせるには新暦を使うべきでしょうが、日本古来の習慣やお祭りはやはり旧暦で行いたいものです。
さて、歳時記の雛祭の項を開いてみると、多くの傍題があることに驚かれるかと思います。
私が知る傍題の多い季語としては夏の季語なら祭、秋の季語なら月、冬の季語なら雪ですが、雛祭の傍題はこれらの季語の傍題の二倍ぐらいあります。
ちなみに私の持っている歳時記には36もの傍題がありました。
そして、傍題の多さに比例して例句の数も多数あります。
しかしながら、傍題が多いため、主題となる雛祭の例句はほんの僅かです。
傍題の例句から主題の雛祭の本質を探ろうとしても、傍題は雛祭の風景の一部なので、雛祭として詠まれた句とは趣が違うように感じます。
そこで、歳時記にある例句だけでなく、ネット上で検索した有名句も参考にすることにしました。
それでも、雛祭として詠まれた句は少数でしたがいくつか手掛かりが掴めました。
まず、気づいたのは雛祭という風景を詠んだ句がごく僅かだったことです。
一方で現実にはありそうもない空想的なものや情念めいたものとの取り合わせが多いように感じられました。
そこから推測するに、雛祭の風景は数多くある傍題の句として取り扱われているのではと考え、傍題の句を見てみるとやはり風景などの具象的なものとの取り合わせが多数を占めていました。
雛祭という季語は具象的な本質は傍題に任せて、主題は抽象的な本質を持つものではないかと考えます。
また、雛祭は字の通りお祭りであり、たのしいものとの取り合わせは当然あるのですが、一方で悲しいもの、哀れなものとの取り合わせもありました。
この感覚は芭蕉の「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」に似ているように思います。
雛祭の本質には二面性があるということも推察できます。
雛祭祖父の遺影の裏暗く
(俳句ポスト投句)
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。