花野(秋の季語) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回取り上げる季語は「花野」で秋の季語になります。

 

花野という文字だけ見ると華やいだ印象を受けますが、花野の正しい認識は秋の野原を想像していただくことから始めた方が賢明だとおもいます。

 

 

秋の野原には秋桜という華やかなものもありますが、春や夏の青々とした風景はすっかり影を潜め、葉が茶色に変わった叢の中に萩の小さな花や吾亦紅の渋い赤褐色の花が揺れる風景にはどこか寂しさ、侘しさが漂います。

 

そして、春や夏の野原との大きな違いは見晴らしです。

 

 

春や夏の野は草の丈がどんどん伸びて、草丈が人の身長ほどのものもあるため、見晴らしがよくないことがあります。

 

一方で秋の野は伸びていた草も枯れてきて草丈も低くなり、遠くまで見通せるようになってきます。

 

花野とは先に述べました寂しさ、侘しさに広々とした感覚を併せ持った季語ではないかと考えます。

 

 

また、花野という季語に含まれる「花」という文字から秋の野原を示した「秋の野」という季語よりも華やかさも持っているように思います。

 

 

このように様々な本質を内包していると仮定した花野について、歳時記にある例句を見ながら検証していきたいと思います。

 

例句を見てゆくと陽の光でも入日といった弱い光や夕日といった寂しさを物語るものが句に詠みこまれています。

 

 

 

このことについては私の予想通りでしたが、広々としたものやその感覚を詠んだ句が思ったより少なく感じかました。

 

秋という季節感で広々としたものを詠むとどうしても「天高し」や「秋の空」という季語と合わせるのが常套手段になるので、花野で広々とした事象を詠むのは少なくなるのではないかと思います。

 

花野を季語にして使う場合は広々とした中にわびしさ、悲しさを含めなければならず、さらには花という華やかさ持たないと生きてこないので、その難しさゆえに広々とした感覚で詠んだ花野の句が少ないのかもしれません。

 

 

しかしながら、歳時記にある花野の例句は数多くあり、それはわび、さびの中にはなやかさを持つ花野という季語が日本人の心を惹きつけるからなのでしょうか?

 

錆色に雨を染めたる花野かな

(俳句ポスト投句)

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。