では前回の続きのお話をしたいと思います。
大浦天主堂へはJR長崎駅から路面電車に乗り、一度乗り換えて大浦天主堂下駅で下車して徒歩で向かいました。
大浦天主堂はれっきとした宗教施設ですが、いまは観光地としての色合いが濃いようで、まわりは明らかに観光客と思われる人ばかりです。
また、大浦天主堂までの道の両側には観光客目当ての土産物屋や飲食店が立ち並んでいます。
近くの駐車場には他府県ナンバーの観光バスがずらりと並んでいました。
そんな風景を横目に見ながらぶらぶらと歩いていると、ふと道路脇にある案内板に目が留まりました。
その案内板がこちらです。
この案内板によると明治4年(1871年)に長崎と上海、ウラジオストク間に海底通信ケーブルが開通し、日本で初めて通信ケーブルによる国際間の情報交換が瞬時にできるようになったと書かれていました。
日本が鎖国を行っていた江戸時代に唯一海外との窓口を開いていた長崎の地において日本で最初の国際間通信ケーブルがつながったという事実は感慨深いものがあります。
今回は大浦天主堂にたどりつけませんでしたが、本題の大浦天主堂のお話しは次回に譲りたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。