今回の取り上げる季語は無花果(いちじく)で、秋の季語となります。
無花果の漢字の由来は花が咲かずに果実がなることから付けられました。
実は私たちが果実と思って食べているのは花嚢と呼ばれる花の集合体が熟したもので果嚢(かのう)といいます。
無花果を割ってみると中にたくさんの粒々がありますが、本来の果実はこの粒々一つ一つなのです。
無花果は花が咲かないと思われていますが、本当は花嚢の中で無数のごくごく小さな花を咲かせるのですが、袋状の花嚢に覆われているため外からは見えません。
そして、花が咲いた後に花嚢の中で無数の花が結実して熟すと果嚢と呼ばれるようになり、私たちはその果嚢を収穫して食べているのです。
無花果は古くから栽培が行われており、研究により約六千年前のメソポタミアで栽培されていたことがわかっていますが、それ以前の約一万年前から栽培されていたことを伺わせる事物がヨルダンの遺跡から発見されています。
原産地はアラビア半島というのが定説ですが、アナトリア(現在のトルコ)だという説もあります。また、旧約聖書にあるアダムとイブが裸体を覆うのに使ったのは無花果の葉であり、さらに禁断の実はリンゴではなく無花果であるとの説もあります。
このように原産地に近い中近東から欧州では数千年以上前から知られていた無花果ですが、日本にはずっと年代が下った江戸時代初期に中国を経由して伝来したといわれています。
当初は漢方薬の原料として入ってきたようで、今でも使われていますが、実は整腸剤、下剤に、葉は肌荒れや腰痛に効き目あります。
その後はその甘みから徐々に食用としても用いられるようになっていきました。
その甘さから、異国から来た柿のようにあまい果物という意味合いで「唐柿」、「蓬莱柿」、「南蛮柿」などと呼ばれていました。
西洋世界で長い歴史を持つ無花果には豊穣、平和、官能など様々な意味が付与されており、聖書にも表されていることから神聖なものと認識されています。
さて、無花果という季語の印象を例句から読み取ってみると、こちらも様々な意味合いが付与されていますが、私が一番印象づけられたのは、無花果の赤紫色になんらかの感覚を求めていることでした。
無花果の皮と実が赤紫色ですが、特に実の赤紫が明るくもなく、とはいっても暗くもないなんとも言えない味わいが私にはありました。
この無花果の赤紫の味わいを大切にして句作りしたいと考えています。
無花果の固さ駱駝のこぶほどに
(俳句ポスト投句)
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。