今回取り上げる季語は炭で冬の季語となります。
個人的に二文字の季語に苦手意識があり、「炭」の句が出てくるまで時間がかかるだろうなと思いつつこの文章を書いています。
私が子供時代には既に炭(木炭)は暖房用の燃料として用いられておらず、練炭、豆炭から灯油へ移っていく時代でした。
そのため、炭は焼鳥かバーベキューまたはお茶席の湯を沸かすものでしか実際に見かけたことがありません。
焼鳥は炭と同じ冬の季語なので関連性がありそうですが、バーベキューは夏、茶席は野点を連想するので春、どちらも冬の季語には関連なさそうで、作句の手がかりになりそうもありません。
やはり、いつものように例句から俳人の方々が感じている炭のについて調べてみることにしました。
例句を調べてみると、多くの例句が見つかりました。
そこからは素っ気ない真っ黒な棒きれのような「炭」に視覚(断面の割れ目が菊花状になっているものを菊炭と呼ぶなど)、聴覚(上質の炭同士を打ち合わせるとカンカンと甲高い音がするなど)、嗅覚、連想力(学問のさびしさに堪え炭をつぐ/山口誓子)がしっかり含まれているということです。
特筆したいのは嗅覚として「炭の香」という表現があったことです。
ほぼ純粋な炭素原子だけで構成されている炭が香るというのは驚きでした。
私が数年前に炭を実際に手に取った記憶ではなんら香りを感じませんでした。
このことでまだまだ私の感覚は俳人の方々の足下にも及ばないことを知ることとなりました。
そして、多くの感覚を内包している「炭」は俳人の方々の創作意欲を刺激して、多くの句を生み出したのではなかろうかと思った次第です。
炭注いで尽きることなき宇宙論
(俳句ポスト投句)
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。