重ね着(冬の季語) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回取り上げる季語は「重ね着」で、冬の季語となります。

 

 

私の手持ちの歳時記の表記も「重ね着」ですが、正しい表記は「重ね著」だそうです。

 

現代では衣服などを身につける漢字は「着」という表記が広く認識されていますが、「着」は俗字(世間では通用しているが正格ではない字形のこと)であり「著」が正字であると漢和辞典には記されています。

 

 

「著」という漢字は目立つようにあらわすという意味と衣服を身につけるという二つの意味を持っていましたが、この二つの意味合いが少々離れているため時代の流れの中で衣服を身につける場合は本字である「著」が変化してできた「着」という漢字を当てるようになり、「著」という漢字は目立つようにあらわすという意味だけに使われるようになったと考えられます。

 

 

時と共に言葉は変化していきますが、この「重ね著」という季語も時と共に変化していく一つ例ではないでしょうか。

 

さて、季語としての「重ね着」(俗字ですが以降は重ね着で表記させていただきます)について考えてみます。

 

 

「重ね着」と聞いてまず思い浮かべる景は着ぶくれた姿ですが、「着ぶくれ」は「重ね着」とは別題の季語となります。

 

 

この二つの季語はどちらとは言えませんが主題、傍題の関係にあっても良いように思いますが、どうして別題となっているのでしょう?

 

 

その理由について考えてみました。「重ね着」についての説明を詠んでみると「重ね着をすると暖かいが、重ね着することで動きがにくくなったり、肩がこったりするので、重ね着を脱いでほっとしたい気もする」という記述がありました。

 

この記述から導き出されることは、重ね着をして着ぶくれる風景は「着ぶくれ」という季語に譲って、「重ね着」は先ほどの説明にあった暖かい、ほっとするなどの人の感情を受け持つ季語ではないかと考えます。

 

 

また、先ほどの季語の説明にある「重ね着をして暖かくなる」と「重ね着を脱いでほっとしたい」という、相反する感情を含む少々やっかいな季語のように思えます。

 

 

重ね着の温む手で引く舫い綱

(俳句ポスト投句)

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。