琵琶記疏水記念館2 | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

それでは前回リンクの続きから始めさせていただきます。

琵琶記疏水記念館1

 

今回は疏水記念館の展示についてご紹介させていただきます。

 

疏水記念館は地下1階を含む2階建ての建物で、建物内部に3つの展示室、資料室、ホールと2階廊下にも展示がされています。

 

さらに屋外にも展示があります。

 

第1展示室は琵琶湖疏水の計画と建設、第2展示室は琵琶湖疏水が果たした役割、第3展示室は琵琶湖疏水開通後の京都市三大事業と水道事業の展開を主題とした展示がされています。

 

2階西側廊下には琵琶湖疏水のかつての姿と現在の姿を映した写真が、東側廊下には琵琶湖疏水に関する記念碑、慰霊碑、そして隧道に掲げられている扁額の写真が展示されています。

 

まずは第1展示室の展示物ついてもう少し詳しくご紹介したいと思います。

 

最初にご紹介するのは京都の人々の長年の夢であった琵琶湖疏水を実現するために行政府の長として尽力した北垣国道の書や手紙、行政書類等の展示です。

 

ここに展示されている北側国道の書「雄観奇想」(見事な眺めと優れた考えという意味だそうです)を揮毫とする扁額が疏水にほど近い「ねじりまんぽ」と呼ばれる煉瓦造りの歩行者用トンネルに掲げられています。

 

 

その他に疏水工事は京都府の予算だけでは賄えないと判断した北垣国道が当時の明治政府の要人である内務卿の山田顕義、大蔵卿の松方正義、農商務卿の西郷従道に宛てた疎水工事費の一部を国庫から支出してほしいと申し出た伺い書が展示されています。そして後でご紹介しますが、疏水の建設工事全般の責任者となる田邊朔郎へ宛てた手紙などが展示されています。

 

 

 

 

次にご紹介するのは測量技師として疏水をどのような経路で通すべきか計画図を作成し、その後建設工事で重要な役割を果たした島田道生が書き残した測量図、測量機器や彼が使用した製図道具などが展示されています。

島田道生翁)嘉永2年(1849年)現在の兵庫県養父市に生まれる。お雇い外国人から算術、測量術を学び、その後は同郷の北垣国道と行動を共にする。その縁で琵琶湖疏水の建設工事に関する測量と設計に従事する。田邊朔郎並び琵琶湖疏水建設工事に最も貢献した人物である。

 

 

彼の測量図の正確さはその後に始まる建設工事の大きな助けとなりました。

 

まだ第1展示室のご紹介は続くのですが、今回はこのあたりにして、続きは次回に譲りたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。