今回から京都市にある琵琶湖疏水記念館についてのお話をさせていただきたいと思います。
琵琶湖疏水記念館は京都市上下水道局が運営管理し、琵琶湖疏水の計画から困難を極めた建設工事、そして琵琶湖疏水によって東京遷都後に寂れてしまった京都の町がどのように復興を遂げたのか紹介し、その意義を再確認するために平成8年(1996年)に京都市右京区に開館された施設です。
疏水記念館はかつて疏水が滋賀と京都を結ぶ水運として活躍していた頃に、行き来する舟の舟溜まりとなっていたところを見下ろすように建っています。
まず、琵琶湖疏水について簡単にご説明したいと思います。
明治維新により天皇と皇族、そして公卿の多くが東京へ移住していくにつれて京都の人口が減少し、それに従い産業が衰退していき、かつての京の街の賑わいが無くなっていきました。
そのことに危機感を持った第三代京都府知事の北垣国道は産業活性化のため琵琶湖から水を引く琵琶湖疏水の建設を計画しました。
古くから琵琶湖から水を引くことは京都の人々の悲願であり、江戸期には実現のための誓願がなされましたが、当時の日本の技術では琵琶湖と京都市内を隔てている東山にトンネルを掘って琵琶湖の水を引くことは技術的に困難であり、その願いは叶えられませんでした。
しかし、明治維新により西洋技術が導入され俄に琵琶湖から水を引くことが現実味を帯びてきたのです。
そして、明治18年(1885年)に着工し、その5年後の明治23年(1890年)に完成しました。
さらにその22年後の明治45年(1912年)にはさらに多くの水を引くために第2疏水が完成します。
それでは疏水記念館の各展示をご紹介してゆこうと思いますが、夜も更けてきましたので今回はこのあたりにして、次回より記念館について詳しくお話ししたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。