山焼(春の季語) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回は春の季語である「山焼」のお話をしたいと思います。

歳時記によりますが「山焼」は主題として扱われていたり、「野焼」の傍題として扱われていたり、逆に「山焼」の傍題に「野焼」があったりと扱いが様々で、この二つの季語は切っても切り離せない、そしてどちらも主題となる季語のようです。

 

さらに調べてみるとこの二つの季語に加えて「焼」の付く春の季語には「芝」、「畑」、「草」、「畦」という季語が存在していました。

 

こうした「○焼」という季語が多く存在するというのも、農耕民であった日本人にとって春に野や山を焼くという行為がとても重要であった証ではないでしょうか。

 

この「○焼」という行事は枯れた草などを焼いたものを肥料とする焼畑の名残だと思われますが、さらに火で焼き払うという行為は邪を祓うという宗教的意味あいもあるのではないでしょうか。

 

大きな松明を持った僧侶がお堂を駆け巡る奈良の東大寺二月堂のお水取りや、京都の鞍馬寺で秋に行われる火祭りなどはその火の粉を浴びると無病息災のご利益があると言われています。

(奈良の東大寺二月堂のお水取り)

 

(京都鞍馬寺火祭り

 

これらの行事も「○焼」と通じるものがあるように感じます。さて、季語としての「山焼」に話を戻してみたいと思います。

 

さきほども申し上げたとおり「○焼」の○としては「山」以外に野、芝、畑、草、畦などがありますが、それらには明確に違っているところもあれば、似通ったところもあります。

 

このように似通った季語の違いを句に反映させるには高浜虚子著の「俳句の作りよう」に書かれています、「よく見入ること」が必要ではなかろうかと思う次第です。

 

木の洞は火焔を吐いて山焼ける
(俳句ポスト投句)

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。