季語探訪 鰯 (秋の季語) | 蔵六の雑記帳

蔵六の雑記帳

過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回取り上げるのは秋の季語である「鰯」です。

 

 

子供の頃、鰯と鯨は季節に関わりなくほぼ年中食卓にあった記憶があるので特定の季節の魚だとは思っていませんでした。

 

ネットで著名な俳人が詠んだ鰯の句を調べていると、かなりの割合で季重なりの句が見受けられました。

 

やはり著名な俳人の方々にも鰯が秋の季語として弱く、秋の強い季語を使いたくなるのかと推察されます。

 

また、秋の魚と言えば秋刀魚に鮭という二大スターがいるため、秋の魚として「鰯」の影がますます薄くなってしまっていたようです。

 

 

さらに秋刀魚、鮭は季節外れに食べると味が並になりますが、鰯の場合は産卵を終えた春以外はいつ食べても美味しいということもあり「鰯」が秋の魚だという印象を薄くしているのかもしれません。

 

こうして「鰯」のことについての思いを書いていると、生物としての弱さ、年中大量に水揚げされることによる印象の薄さに加えて味覚や季節感の弱さ、そして本当は美味しい魚なのに鯛や平目などの高級魚の影に隠れて評価されないはかなさなどが見えてくるようです。

 

 

鰯が秋の季語だと知り、冷凍、冷蔵技術がいまほど発達していない子供の頃に鰯が年中食卓にのぼっていたのは記憶違いかと思い調べてみると、日本近海には鰯の集団がいくつかあり、それぞれ別々に回遊しているため、ある季節にはそのうち一つの集団がどこかの港に近づいて水揚げされ、また別の季節には別の集団が別の港に近づいて水揚げされるということを繰り返しているため、ほぼ年中どこかの港に水揚げされた鰯が食卓にのぼっていたようです。

 

鰯焼く鬼が島より咳払い
(俳句ポスト投句)

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。