さて、それでは「日本二十六聖人記念館」についてのお話をさせていただきたいと思います。
「日本二十六聖人記念館」のある西坂の丘は長崎市内を見下ろす小高い場所です。背後は長崎の街の特徴である急坂が続いています。
ここで二十六聖人が処刑されたのは、キリストが磔にされたゴルゴタの丘に似ているこの場所で処刑して欲しいという、彼らの希望に因るものと伝えられています。
この丘にある西坂公園内には日本二十六聖人をかたどった巨大なレリーフ(題名:昇天のいのり)が設置されています。
このレリーフの制作者は自らもカトリックに帰依した彫刻家の舟越保武氏です。
そして、レリーフの後ろにある建物が日本二十六聖人記念館です。
さらに視線を右に移すと二十六聖人の一人で、メキシコ人修道士の聖フィリッポ・デ・ヘススに捧げられた聖フィリッポ・デ・ヘスス教会が建っています。
この二つの建物はサグラダファミリア教会の設計者として有名なガウディを日本へ紹介した草分け的建築家である今井兼次氏の設計です。
ガウディの研究者としても活躍した今井氏の設計であることを伺わせるように、この教会全体の形状はサグラダファミリア教会を彷彿とさせるものがあります。
また、この教会の建設費は聖フィリッポ・デ・ヘススの故郷であるメキシコからの浄財で賄われたそうです。
メキシコのカトリック教徒の方々の信心深さに驚かされるばかりです。
ここまで調べてゆくと、なぜ日本二十六聖人が処刑されたこの地に建つ教会が二十六聖人全てに捧げられた教会ではなく、聖フィリッポ・デ・ヘススに捧げられた教会なのか不思議に思いました。
さらに調べてゆくとその理由がわかりました。
その理由は二十六聖人に捧げられた教会が聖フィリッポ・デ・ヘスス教会の建てられる前から存在していたからでした。
その教会が同じ長崎市内あり、国宝にも指定されている大浦天主堂です。
ここで調べるまで知らなかったのですが、大浦天主堂の正式名は「日本二十六聖殉教者堂」であり、教会名が示すとおり日本二十六聖人に捧げられた教会で、今回ご紹介している「西坂の丘」に向かって建てられています。
大浦天主堂は1865年(元治2年)に建立されており、聖フィリッポ・デ・ヘスス教会はその約100年後1962年(昭和37年)に建てられました。
そのため同じ教会堂の名前にはせず、二十六聖人の一人である聖フィリッポ・デ・ヘススの名前をいただいた教会としたそうです。
日本二十六聖人記念館の沿革や周辺についてのお話はこのあたりして、次回は記念館の内部や展示についてお話ししたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。