では前回の続きから始めさせていただきます。
もうひとつ彼を尊敬している点は無欲であったことです。
適塾在籍時の彼の唯一の楽しみは冷奴をつまみに晩酌をすることでした。
他の塾生達は街に繰り出して飲み歩くものもいれば、色街で女を買うものなど、派手に遊び回るものがいる中で何とも質素な楽しみです。
彼の実家は村医者でありますが、その嫡男である蔵六を各地へ遊学させているところをみると決して貧しく無かったと思います。
彼もそれなりの仕送りを受けていたものと思われますが、彼の無欲さがこうさせたのだと思います。
もう一つ彼の無欲さを物語る逸話として、戊辰戦争の勝利の立役者として報奨金を朝廷から受け取ったのですが、蔵六は父親のために使ってほしいと言って妻である琴子へほぼ全額を送っています。
そんな無欲な彼は長州征伐や戊辰戦争での軍功に対する名声や与えられた金品に溺れることなく、今後の日本に何が必要かを見極めて、周りから何を言われようとも、どうしてもやらねばならないと考えていた軍備増強を粛々と進め、兵制を調えていきました。
彼が準備した兵制のおかげで、明治政府への反乱である西南戦争に勝利し、その先の日清戦争での勝利、そして当時大国であったロシアを相手に勝利とはいきませんでしたが、互角の戦いが出来たのも彼のおかげだと私は思っています。
彼の働きの足元にも及ばない私ですが、すこしでも彼のような生き方ができればと思い、私のブログのペンネームに使わせもらいました。
まだ、少し書き残したことがあるのですが、夜も更けてまいりまいりましたので、次回に譲りたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。