では前回蔵六の由来(その2) の続きから始めさせていただきます。
では村田蔵六のどんなところに憧れを抱いたのかについてお話しさせていただきたいと思います。
その前にいま少し村田蔵六の人となりについてお話しさせていただきたいと思います。
彼が宇和島藩に出仕を決意した理由に「村医者に嫌気がさしていた」とお話しましたが、その原因は村内で藪医者と呼ばれ人気がなかったからです。
先にお話したように彼は頭脳明晰で優秀な人物であり、決して医学の知識や技量がなくて藪医者と呼ばれたわけではなく、頭脳明晰であるが故に他人から誤解を受けるような言動や行動があったからです。
そこで、先ほどご紹介した司馬遼太郎先生の著書「花神」から、彼らしい逸話をご紹介したいと思います。
一つ目は風邪気味で彼のところに来た村人に診察後「ただの風邪です。あったかくして寝ていれば直ります」と言って、その村人に薬も出さずに帰してしました。
蔵六の言い分では、貧しい村人には薬代もかなりの負担であり、症状がひどくなければ薬を出さないほうが村人のためと思ってしたことなのです。
確かに現代の医学でも風邪を完全に治せる薬はないので、当時の薬で症状が大きく改善しないことをよく知っていた彼の言い分は確かに合理的でした。
しかし、村人の心情としては薬を出してもらって、効く、効かないにかかわらず、薬を飲んで良くなった気がするだけでもよいのですが、合理主義者の蔵六にはそんな村人の心情より効き目のない薬は出す必要はない、薬を飲むより暖かくして寝ている方がよほど養生になるという合理性を優先したのでした。
また、ある夏の日に道端で蔵六に会った村人が、「お暑うございます」といったところ、「夏は暑いものです」と返したそうです。
彼の言っていることは間違いではないのですが、なんとも人情味のない答えです。
これもまた無駄な会話は時間の無駄ですという、合理主義者である蔵六らしい考えなのです。
まず、私はこの人情味のない計算づくの合理主義と相手がどう思おうがその合理性を貫き通した信念に憧れます。
ただ、こういう人情味のない言動、行動の積み重なりが同郷の長州藩士の反感を買って、彼が早世したのも事実です。
まだ、もう少し彼の人柄についてお話したいところですが、時間も遅くなりましたので、この続きは次回に譲りたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。