それでは前回の続きからお話させていただきたいと思います。(阪神淡路大震災が起こった日(1) )
いままで聞き流して聞いていたアナウンスを今度は集中して聞き取っていくと、神戸市が大きな地震に襲われ、甚大な被害が出ていると言っているのがわかりました。
そのまま集中して聞いていると、英語の現地放送のアナウンスの後にかすかな日本語のアナウンスが聞き取れました。
たぶんこれがオリジナルのNHKニュース放送のアナウンスだと思われます。
これで今見ている画像は疑いなく神戸を襲った地震の被害を映し出しているものだとはっきりしたのですが、それでも俄かには信じられませんでした。
幼少期から成人するまで阪神間に住んでいた私の経験では揺れを感じるほどの地震は年に一度か二度ほどで、こんなに建物が倒壊し、火災が発生するような地震は阪神間では起こらないと思い込んでいたため、なかかな現実を受け入れられなかったのだと思います。
神戸で大きな地震があったという現実を受け入れた後はテレビを消し、まずは岡山の実家に帰省している家族の安否を確かめるため電話をかけてみました。
ほどなくして電話が繋がり様子を聞いてみると、岡山でも少し揺れたそうですが、ほとんど被害は無いとのことで、無事を聞いてほっと一安心しました。
そして家内に震源に近い阪神間の状況を聞いてみましたが、ひどく混乱していてテレビの報道でしか様子はわからないとのことでした。
家内の叔母が神戸に住んでいるそうですが、いまだに電話が繋がらないのでまだ安否を確認できていないそうです。
かなり後になってから、その叔母一家の無事は確認できたと家内から連絡がありました。
まずは家族の無事が確認できたので、身支度を整えて急いで現地の赴任先へ向かいました。
赴任先につくと、そこでは日本からの赴任者が集まってすでに地震のことで情報交換をしていました。
その中には阪神間に家族を残して来られている方がおり、その人の話を聞くと家族へ電話してもまったく繋がらず、近くに住む友人、親類に電話してもまったく通じないので、安否がまったくわからないといたたまれない様子でした。
その方は日本の本社に掛け合って、既に帰国の準備を進めておられました。
阪神間に家族、親類、知人がいるいないに関わらず、日本からの赴任者の間に動揺が広かっていました。
一方、現地のアメリカ人社員はそんなことを知ってか知らずか、日本人たちが騒いでいることには意も介さず、普段どおりに仕事をこなしていました。
後になって知ったことですが、アメリカ人、特に中南部に住むアメリカ人は保守的で国内でも州外のことになると無関心だそうです。
そういう気風なので海外のことにはひどく無関心です。
それでもまだ、大西洋をはさんだヨーロッパの国々には少し関心があるようですが、広大な太平洋のはるか彼方にあり、あまり身近にいないアジアの人々と国のことについてはまったくと言っていいほど無関心です。
そのため、この地震について当時知っていた現地従業員は日本と繋がりのある幹部社員以外はほぼ皆無の状態だったそうです。
その後も日本からの赴任者の帰国は増えていきましたが、幸い私の家族、親族の無事が確認できたので、そのまま赴任先で業務を続けましたが、核となる日本からの赴任者の多くを欠いてしまったため、このプロジェクトは大幅な遅延を余儀なくされたのは言うまでもありません。
そして、今でもアメリカのアパートで目にした、煙と炎に覆われた神戸の町の画像だけは今でも記憶の中に鮮明に焼き付いています。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また、二回にわたるお話をお読みいただいた皆様へ感謝いたします。