阪神淡路大震災が起こった日(1) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回は阪神淡路大震災(気象庁は兵庫県南部地震と命名)が起こった日の出来事について今回はお話したいと思います。

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災以降も各地で大きな地震が発生し、徐々に私の記憶から薄らぎつつある阪神淡路大震災が起こった日について書き残しておこうと思いこの記事にしています。

 

阪神淡路大震災が起こった当日、私は日本から太平洋の向こう一万km以上はなれたアメリカ合衆国南部のとある町に仕事ため滞在していました。

 

その日もいつものように宿泊先のアパートの一室で起床してテレビをつけました。

 

 

その時間帯はいつもニュースが放送されています。(朝にニュース放送をするのは日本もアメリカも変わらないなと変なところで感心していました)

 

天気予報が終わるとテレビの画面に煙や炎がのぼっている街の姿が映し出されていました。

 

 

それは第二次大戦で空襲を受けた日本の街の姿に似ているように思えました。

 

しかし、現代の日本の街が空襲を受けることなど思いもしませんので、アジアのどこかの国の紛争地帯が映し出されているのだと思い込み、また当時は渡米してまもなくで、英語のアナウンスがよく聞き取れずぼんやりと画面を眺めていました。

 

 

 

英語を聞き取るのにはかなりの集中力が必要でしたので、アナウンスを聞き流し、画像だけ見てニュースの内容もほとんどわからないままで見過ごすことが多かったのですが、少しそのニュースに興味を持った私は集中して聞いてみました。

 

 

するとアナウンスの中にJAPAN、EARTHQUAKEという言葉を聞き取ることができました。

 

これはもしかしたら日本で起こった地震のニュースをしているのではないだろうかと思い始めました。

 

さらに画面に目を凝らしてみると、左上に薄く小さく「NHK」の文字が表示されており、これは「NHK」のニュース画像をこちらの現地放送がそのまま放送していることがわかり、いま目の前に映し出されている画像は間違いなく日本で起きた地震を報道しているのだと確信しました。

 

まだまだお話が長くなりそうなのですが、夜も更けてきましたのでこの続きは次回に譲りたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。