では、前回の続きから始めさせて頂きます。
数日後に再びその医師を訪問すると、診察室に私とほぼ同年齢と思われる男性が待機されていた。
私がその方に自己紹介して、私の個人的なことでおいでいただいたことについて感謝のご挨拶しました。
そうすると、その方は「JAXAの若田と申します。よろしくお願いいたします」と自己紹介のご挨拶をいただきました。
もうお分かりの方もいらっしゃると思います。
そう、スペースシャトルでロボットアームのスペシャリストとして国際宇宙ステーションの建設に貢献され、後にその国際宇宙ステーションのコマンダー(司令官)を勤められることなる、あの若田光一さんだったのです。
その当時は海外赴任先での仕事や赴任先での生活の準備に埋没してしまっており、世間の動きやニュースに無関心で、お恥ずかしながら若田さんのことは存じ上げていませんでした。
後になって知ったのですが、若田さんにお会いしたときは日本人初のミッションスペシャリストに選ばれてばかりで、ヒューストンにあるNASAの施設でスペースシャトル乗船のための訓練中だったのでした。
当時、宇宙飛行士といえば毛利衛氏、向井千秋氏の名前が最初に挙がり、若田さんはまだ無名に近い方でした。(なので、こんな一介の日本人のために通訳に来てくださったのだと思います)
またお話が横道にそれてしまいますが、その当時は日本でスペースシャトルに乗船する人を全て宇宙飛行士とひと括りに呼んでいましたが、正確には宇宙飛行士の中で「ペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)」と「ミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者)」に分かれ、毛利さん、向井さんは「ペイロードスペシャリスト」と呼ばれる資格で乗船し、若田さんは日本人として初の「ミッションスペシャリスト」の資格で乗船された方になります。
「ペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)」とはスペースシャトル内での研究や実験、特殊な積荷の管理を行うことを任務とし、スペースシャトルの操縦やシステムの運用には関わらない宇宙飛行士を指しています。(コロンビア号空中分解事故以降は「ペイロードスペシャリスト」の資格だけでスペースシャトルに乗船することはなくなりました)
一方「ミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者)」とはスペースシャトルの運用全般(操縦、船外活動、ロボットアームなどスペースシャトル付属機器の運用管理)を任務とします。
話がだいぶそれてしまいました。
お話を元に戻して、お互いの自己紹介が終わると、先生が私の息子の症状について説明され(前も同じお話をされていたのだと思いますが、若田氏が通訳するため再度同じ説明をしてくれました)、それを若田さんが私と家内に通訳してくれました。
若田さんは「医療用語が多くてうまく訳せていないところがあるかもしれませんが」とおっしゃっていましたが、私が前に先生から受けた説明の理解度からすると天と地ほど差があり、私も家内も先生が説明された症状についてよく理解ができたことに感謝の御礼を若田さんに述べました。
そして、診察を終え私たちも若田さんも診察室を出たあと、若田さんは何の躊躇もなくメモ用紙にご自分の住所と電話番号を書いて、「お困りのことがあれば、遠慮なくご連絡ください。」と渡してくださった。
(このメモはいまでも我が家の宝として大事にとってあります)
私たちがお会いしたあと、ほどなくして若田さんは日本人初のミッションスペシャリストとしてスペースシャトルに乗船し、その後も次々とロボットアームを使ったミッションで成果をあげられていったことは皆さんもよくご存知だと思います。
そんな若田さんと私は偶然にも同じ年の生まれです。
そして、若田さんの宇宙開発での活躍を見ているととても嬉しく、そして勇気づけられます。
スペースシャトルの運航は残念ながら終了してしまいましたが、これからは国際宇宙ステーション、そしてその先の宇宙開発で若田さんがよりいっそう活躍されることを願って今回のお話は終わりとさせていただきます。
最後に先天性の心臓疾患を持って生まれた私の息子ですが、体の成長に従って先天性の疾患が体に及ぼす影響が小さくなり、小学校卒業とともに疾患による影響は軽微なので今後検査に必要はありませんと言われ、高校時代はトライアスロンに参加するなど、ごくごく普通の生活をおくっています。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。