松尾芭蕉翁の故郷を訪ねて(俳聖殿) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回は以前の記事 松尾芭蕉翁の故郷を訪ねて(芭蕉翁記念館(1))松尾芭蕉翁の故郷を訪ねて(芭蕉翁記念館(2))で「芭蕉翁記念館」を訪れたお話をさせていただいた時にご紹介した「俳聖殿」についてのお話をさせていただきたいと思います。

 

「俳聖殿」は松尾芭蕉生誕300年を記念して昭和17年(1924年)に建てられたもので、

この掲示にあるように、この建物は松尾芭蕉の旅姿を思い浮かべられるよう設計されたものです。

 

上層の屋根が「笠」を、上層部分(俳聖殿の扁額が掲げられている部分)が松尾芭蕉の「顔」、下層部分(一階部分)の庇は「蓑」と「衣」を、一階の胴部は「脚」を、胴部の周りにある回廊の柱が「杖」を表しているそうです。

 

参考として松尾芭蕉の旅姿の画像を下に添付しますが、お読みの皆様は俳聖殿からこの姿が思い浮かびますか?(左側の人物が松尾芭蕉翁です)

 

 

建物の構造は上層が円形で下層が八角形の木造建築で、屋根は桧皮葺だそうです。

 

平成22年(2010年)に国指定の重要文化財に指定されたました。

 

先の説明にありました、松尾芭蕉の旅姿を模した建物というのは、実際に見た私の感想では、いまひとつピンときませんでしたが、上層の白壁とそれ以外の部分は桧皮葺と同じ茶色の二色でまとめられた、「わびさび」のきいた趣き深い建物であると思いました。

 

俳聖殿を見学している途中で雨が降り出し、煙雨にけむった姿はよりいっそう趣き深い姿になったことを付け加えたいと思います。

 

雨の降る前と雨中での画層を並べてみましたが、違いがお分かりいただけましたか?

 

俳聖殿の内部には伊賀焼きで作られた等身大の松尾芭蕉像が納められ、毎年芭蕉翁の命日である10月12日にその尊像が公開されています。

 

最近になってこの像が等身大にしては大きすぎる(推定180cm)との調査結果が公表され、近い将来には等身大の説明が訂正されるかもしれません。

 

また、松尾芭蕉が亡くなった元禄7年(1694年)の翌年から、芭蕉翁を偲んで伊賀上野の地で行われていた「しぐれ忌」が現在は名前を変えて「芭蕉忌」として、この俳聖殿を中心に伊賀市内各所で行事が行われます。

 

その「芭蕉忌」では世界中から俳句を募集し、著名な俳人を選者に招いて、募集した句から佳作、特選の選考が行われています。

 

ここで選ばれた句や選者として招かれた俳人の献句などがこの俳聖殿に納められています。

 

選ばれた句は芭蕉翁顕彰会のホームページにも公開されています。

 

私は海外から応募された句がどんなものか興味があったので覗いてみました。

 

投句されている外国語のうち、英語の句だけは音読ができたので、それを何度も頭の中で音読してみると日本語とは違うリズムではありますが、不思議と調べを奏でているように感じ、日本語の俳句に似た感じで読めてくるのが不思議な感覚でした。

 

フランス語の俳句もありましたが、こちらは音読できなかったので、どんなリズムを奏でているのかわかりませんでしたが、はたしてどんな調べになるのだろうと興味がわきます。

 

俳句は世界中で詠まれていると聞いていましたが、こんなに多くの外国の方が俳句に親しんでいるのだなと、芭蕉忌に海外から投句された数から容易に想像することができました。

 

私も俳句を生んだ日本人の一員として海外の人達に遅れをとらないよう、いつかこの「芭蕉忌」の催しに俳句を応募してみたいものです。

 

以前の記事松尾芭蕉翁の故郷を訪ねて(芭蕉翁記念館(2))に外国人の方が「芭蕉翁記念館」を熱心に見学されているお話をしましたが、こうしてみると海外への俳句文化の広がりは私の想像以上でした。

 

伊賀上野への旅ではその広がりを身近に感じることができた、そんな思いを持ちながらペンを置きたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。