前回のお話の続きをさせていただきます。
私の記憶に刻まれたこととは、ある放送局の記者がまだ事件の傷が癒えぬ時期に、無事生還され日本に帰国した日揮㈱社員の方に、「また、現場に戻られるのですか?」と尋ねたところ、「社命であれば行かなければならないでしょうね」と答えられたことから始まります。
一般的には仕事だから”いかなければならない”ということですが、仕事だから以外にもそう答えざるをえない事情を以前に聞いたことがあるので、その当時、私はなんともやるせない気持ちでいっぱいでした。
その事情とは私が海外でプラント建設に携わった時に日揮㈱と同様に海外のプラント建設を得意とする日本企業の方とお仕事した時にお聞きした話です。
その時にお聞きした話では、石油、天然ガスの海外プラントの建設では国と国(多くは日本とプラント建設先の国)との間に契約や約束事をしていることが多く、日本国としても建設する会社(当然その社員も含まれる)としても、一度始めたプラント建設を簡単には止めれない(放棄できない)事情があります。
契約や約束事の多くは石油プラント、天然ガスプラントなどの建設に日本国が技術的、金銭的援助を出す代わりに、そこから得られる石油製品、天然ガスなどを割安な価格で優先的に日本に輸出するというものです。
もし、その建設から手を退けば(放棄すれば)、それらの権益が失われることになり、日本はその分の石油製品、天然ガスを高い値段で市場から買わざるを得ないことになります。
さらにこじれると国と国との間の外交問題にも発展しかねず、請け負った会社だけではなく、日本国全体が厳しい立場になることもありえます。
そして、手を退いた企業も日本政府からそういう海外案件の参入からこの先はずされることとなるでしょう。
この事件の舞台となった天然ガスプラント建設でこういう契約や約束事があるのかは定かではありません。
もしそうであれば、そういう事情をよく知る日揮㈱の社員の方々は危険を承知で、日本のこと、そして日本に残す家族の生活を考えて、先のような回答をされたのであろうかと思うと、いまも忘れられぬ記憶として刻まれています。
昨今の安全保障関連法の改正による自衛隊の海外貢献、派遣についての報道をよくお耳にすると思います。
しかしながら、海外の辺境の危険地帯で武器も持たない丸腰で、危険と隣りあわせの中、自衛隊のような装備もなく、地味だけれども日本のために働いて(戦って)おられる方々がいることを皆様の記憶の片隅に置いていただければ思います。
この星のいまも何処かで使命感かられ戦うビジネスマン
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。