小樽の歴史的建造物(旧共成㈱) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

北海道小樽市を訪れたときに出会った歴史的建造物を何回かに分けてご紹介するシリーズの続編です。


いままでのお話をご覧になりたい方、小樽市についてお知りになりたい方はこちら

小樽の歴史的建造物(旧名取高三郎商店)


小樽の歴史的建造物(旧金子元三郎商店)


今回は旧共成㈱をご紹介したい。


この建物の建設年は明治45年(1912年)で、外壁は煉瓦であるが、内部の構造は木組みで作られている木造煉瓦造りである。



以前にご紹介した旧名取高三郎商店、旧金子元三郎商店の建物は石造りであるがこの建物は小樽では珍しい煉瓦造りである。


共成㈱は明治24年(1891年)創業の北海道(東京以北)で最大規模の精米、米穀会社であった。


画像をご覧いただいてお分かりいただけるだろうか、北海道(東京以北)で最大規模の精米、米穀会社だけあって先にご紹介した2棟に比べるとかなり大きな建物であり、アーチ状の窓など外観も凝ったつくりとなっている。


現在、この建物は小樽オルゴール堂の本館として営業している。残念ながら建物の中に入っていないので、小樽オルゴール堂についてお知りになりたい方はこちらをご覧ください。

小樽オルゴール堂本館


共成㈱についていま少しご紹介したい。

創業者は富山出身の沼田喜三郎氏である。


特筆すべきは北海道最初の株式会社と言われていることである。(日本最初の株式会社は第一国立銀行というのが通説である)


明治、大正期は精米、米穀商を中心に営業を続けたが、第二次大戦前の米穀統制によりその商売は厳しさをました。


そういう状況下で会社の生き残りをかけ多角化を図っていった中で、北海道の昆布から抽出されるアルギン酸を用いた医薬品開発に着手し、昭和16年(1941年)に製薬業を業務に加えて製薬部門を新たに立ち上げた。


その後も共成㈱本体の経営は厳しさを増して昭和30年(1955年)に解散し、同時に共成製薬㈱を設立して共成㈱の製薬部門を継承した。


昭和48年(1973年)に堺化学工業株式会社、株式会社カイゲン(※)、堺商事株式会社と提携、堺化学グループとなる。

(※テレビの宣伝でご存知かと思いますが、風邪薬の”改源”の製造販売元です)


さらに平成25年(2013年)4月には㈱カイゲンと合併し、カイゲンファーマ株式会社(本社:大阪市道修町)と社名が変わり、120年余り続いた共成という社名は消滅したが、カイゲンファーマ株式会社にいまだその企業遺伝子は生き続けている。

(小樽市の奥沢、天神ある二工場がカイゲンファーマ㈱の工場として今も創業を続けている)


名取高三郎商店と同様に、明治、大正、昭和、そして平成の世まで、現状にあぐらをかかず、新たな道を模索しつつ、しなやかに生き抜いた企業魂は今の日本人が見習うべきものがあると思う。


明治から平成の世にしなやかに

チャレンジ続け道切り開く


私も明治期に創業した企業の生き方を見習わねばと自戒しつつ、今回のお話を終わらせていただきたい。


今回も最後までお読みいただきありがとうございます。