今回は北海道小樽市を訪れたときに出会った歴史的建造物を何回かに分けてご紹介したい。
まず、小樽市について簡単にご説明したい。
小樽市は札幌から北西に列車で30分の日本海に面した港町である。
明治初期の北海道開拓期は最も重要な港として位置づけられ、明治後期になると道内で採炭された豊富な石炭を道外へ輸送する拠点として、そしてロシア、樺太との交易で急速な発展をとげた。
その繁栄の様子は「北のウォール街」と称され、市の中心部に次々と石造倉庫、廻船問屋、中央の金融機関の支店などが軒を並べるようになった。
こういう経緯で現在も小樽市には明治、大正、昭和初期の建物が数多く残っており、それらが小樽市の町並みを形作っており、特に運河沿いの倉庫群は観光名所として有名である。
さて今回、最初にご紹介するのは「旧名取高三郎商店」である。
(正面)
この建物は山梨県出身の金物商である名取高三郎氏の店舗として明治39年(1906年)に建てられたものである。
火災の多かった小樽で防火用のうだつが(上の画像で一階屋根の左側に設置された壁に似た構造物)片側だけに設置されていることが特徴的な建物である。
外壁には道内の建物に多く使用された札幌軟石が使用されている木骨石造の明治後期を代表する商家の姿を留めている。
木骨石造とは外壁は石で作られているが、内部の構造体(建物を支え形作っているもの)は木組みで作られた建物である。
(裏手からの画像)
現在この建物は「小樽大正硝子館」の本店店舗として使用されている。
残念ながら店舗内に入っていないので、店舗内の雰囲気をお伝えできないのが残念である。
お店のことを詳しく知りたい方は以下のリンクをご覧いただきたい。
そして、名取高三郎商店のその後についてお話したい。
創業から明治末までは金物商として財をなし、明治末期の明治41年(1911年)頃から北海道セメント(現在の太平洋セメント)の特約販売店となり、セメント販売に進出し、第二次大戦前の昭和16年(1941年)まで順調に商売を続けた。
第二次大戦中及び、戦後の停滞期のあとセメント販売だけにとどまらず、総合建材商社として全道で営業を行った。
昭和35年(1960年)に 「株式会社 名取商店」に改組し、さらに昭和47年(1972年)には「ナトリ株式会社」に社名変更した。
第二次大戦後は高度成長期の波に乗り、さらに業容を拡大し続けるが、1990年代のバブル崩壊とともに業績が悪化していく。
2000年代に入り、事業建て直しのため、太平洋セメントの連結子会社となり、同社製品の販売を主力とするようになる。
また、営業範囲も全道から道央、道南中心に縮小し、現在もナトリ株式会社として、本社を札幌市に置いて営業を続けている。
130年を経たいまでもしたたかに名取高三郎氏の経営遺伝子が生き続けていることに驚きと敬意を表したい。
また名取高三郎氏の生い立ちから名取高三郎商店を経営するまでをナトリ株式会社が公開している以下のホームページに詳しく書かれているのでご興味のある方はご覧いただきたい。
創業者 名取高三郎 伝
北の地に 明治の老舗 したたかに
商い続く 平成の世に
今回も最後までお読みいただいきありがとうございます。