マイ・ボニー・・・14 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 14

 

 もう、9月は終わろうとしていた。
 僕と明子の関係に変化はない。
 気まずくなったというほうがいいかもしれない。 
 よりによって、隣の席になってしまった。
 始終顔を合わせ義務的に言葉を交わす。

 

 僕は冷静さを装い、プールの件はなかったものと、振舞おうとする。
 明子は時折、凍てつくような目で僕を睨む。

 

「あのことは忘れない」と、でも言いたいのか?

 

 彼女の心は僕の想像を超えている。
 祥二と弓子の他に、この冷戦を知る者はいない。


 

 祥二はピアノ・コンクール以来、弓子との仲が続いているのか? 僕に惚気る。

 

「土曜日、弓子ちゃんの家にお呼ばれして、食事をご馳走になったの。

 おいしくて、おいしくて、今までに食べたことのない料理、
 イギリス料理、いや、フランス料理ね。

 

 慣れないせいね、フォークを落としたの、死ぬほど恥ずかしかった。
 せっかく、テーブルマナーの本を買って、家でフォークとナイフの使い方を練習し、

 音を立てない食べ方まで研究したのに。
 つい、緊張のあまり、わたしのしたことが。 

 

 そうしたらどう、女優さんのように綺麗なママがやさしく拾って、

 新しいフォークを持ってきてくれたの、映画がみたい。
 達君、そんな経験おあり?」

 

「オカマ! その言葉どうにかしろよ、いったいどうしたんだ。
 すっかり弓子にのぼせやがって。
 弓子のママ、あんなの、おばさんと変わらないよ」

 

「達君、違うの。着ているお洋服が、お言葉が、なにげない一つ一つがお上品なの。
 パパの葉巻がまた素敵、幼稚園のマー君もかわいくて」
「勝手にしろ!」



 

 運動会とやらの下らない練習でへとへとになっている。
 軍隊のように行進し、囚人のようにどやされ、羊のように群れる。 まだ、戦争は終わっていない。
 


 明日の本番に備え、子供たちが忙しく動き回っている最中に校長と教頭はテントで茶を啜っている。
 ふざけた野郎共だ。責任者は率先して働け。

 

「雨で中止だといいな。今朝の天気予報で、言っていた、

 今夜遅くから雨になって明け方まで残る」
 祥二の言葉をぼんやり聞いて、灰色の空を眺めていた。

 願いも空しく、朝には雨が上がっていた。

 

「このぶんだと、やるね」

 

「よかったじゃない。せっかくお弁当を作ったし、平日に仕事を休んで行くのもたいへんだから」

 

 観に来てもらえるのは有難いが、親子二人の運動会はせつない。
 雨上がりの校庭は、少しぬかるんだ。
運動靴にべっとり泥が付いている。

 

「校舎ばかりにお金をかけて、ここの水捌けは最低だな」
 

 

 虫の独り言など聞く者はいない。
 入場行進、僕は前から2番目で、その次は虫、いやな奴が後ろに控えたもんだ。
 虫の父親・PTA会長の退屈極まりないスピーチ、校長の聞くに堪えない説教、

 児童会長の選手宣誓、やっと運動会が始まった。


 

 当分出番はない。
 トラックの外にある応援席に座って、のんびり見学といこう。
 ビニールを敷いているにもかかわらず、水分が短パンを襲う。
 虫の言うことに一理はある。
 低学年の競技が続いた。
 気を入れて見ている者はいない。 

 

 千五百メートル走出場のため、健次、虫、山田の三人が入場門に向かった。
 自分から出たいと言った山田はともかく、健次と虫は、残りの男子が押し付けた。

 二人が遅いのは目に見えている。

 

 レースは、5、6年の各クラスから3人ずつ24人で競う。
 二人が何着になるか、興味津々だ。
 

 

 ピストルが鳴った。
 健次は早くも遅れ出し虫は集団の最後尾に付いている。
 1周、2周、先頭ははグイグイ飛ばし、虫はジリジリ離され、
 健次はどん尻を独走する。

 

「虫、もっと早く」

「健次、お前はクラスの恥さらしか!」
 きつい声援が飛ぶ。
 笑い転げる、クラスメート。

 

「あなたたち、わざとやったのね」

 明子が二人を庇い、トラックに身を乗り出して、

 

「頑張って」

 

 また、頑張ってか。明子の頭は見かけによらず単純だ。
 これは、彼女を攻略するヒントに。
 山田はどうにか、先頭集団に付いている。 
 ラスト1周、6年生の二人がスパートした。
 山田は、もう付いていけない。

 

 健次と虫は、すでに周回遅れになっている。 
 健次は2周、いや、3周、本人さえ知らないだろう。 
 山田は5着で、虫は足を絡ませゴールした。
 健次は大喝采を浴び、重い体を弾ませ、テープを切った。
  
 

  健次-虫 (連勝単式) 
  払い戻し 二百三十円。


 

 いよいよ、五十メートル走がはじまる。
 僕は2番目の組で、虫と一緒に走る。虫が好スタートを切った。 

 慌ててはいけない、相手は虫だ。
 それに千五百メートルの疲れがある。
 

 

 僕は足が縺れないようにカーブを曲がる。最後の直線だ。
 虫は飛ばし過ぎたよのか、目に見えて遅れ、僕は軽く抜く。
 トップまで、あともう少しと追い上げたが、2着だった。
 虫は5着と健闘、虫より遅い奴がいた、虫に拍手を送ろう。 

 

 僕は2着の旗の後ろに座り、その後のレースを観た。
 祥二、楽々とトップで笑顔を見せた。
 健次、無残に惨敗し、ビリの旗を目指す。
 弓子、髪を乱し、口を開け、笑わせてくれた。
 明子、速い、速い。余裕でぶっち切っる。まったく、かわいくない女だ。



 

 5、6歳の子供たちが父親や母親に手を引かれ浮かれている。
 来年の新1年生による玉入れがもうすぐだ。 
 僕は紅組の籠を伝令・中西と共に持っている。

 弟や妹がいない僕にとって、近くでこういう子らと接するのはいいものだ。

 

 籠に入る玉は多くない。
 子供はともかく、父親までもが籠を外す。手前に落ちた玉もあれば、

 3メートル、5メートル先に転がった玉もある。 
 僕に一つ、中西に二つ、命中した。

 

「1個、2個、3個」
 

 僕と中西は交互に玉を投げた。

 

「9個」
 

 僕たちの玉は終わった。

 百足競争を前にリーダーの森崎(ただの笛吹き)が出場者全員に注意を与えた。


 

「女子、スタートはゆっくり、徐々にスピードを上げろ。

 練習通り、練習通り、3位で十分。
 男子、いいか、最後の20メートルが勝負の分かれ目だ」

 

 祥二はそんな言葉どこ吹く風と、綱引きを観ている。

 

「おもしろいだろう。綱引きなんて、2年生の頃やったっけ」
 女子はまず、順調にすべり出した。弓子が躓き転んでしまった。

 

「弓子!」

 

「でかい声だすなよ」
「怪我でもしたら、心配で、心配で」
「ちゃんと、立ってる」

 

 女子は3位でやって来たが、2位との差が開きすぎている。
 森崎は予定が狂ったのか、

 

「2位狙いでいけ。とにかく早く追い付くんだ」

 2位どころか、ビリとも差がない。
 ビリの笛吹きは、セカンドのライバル・野村が吹いている。
 こいつにだけは、負けたくない。

 

「ファイト、ファイト」
 

 ピッ。と、鳴らす嫌味な笛。
 ライバル心がメラメラと燃え上がるが、団体競技ではいかんともしがたい。
 最後まで抜きつ抜かれつ。とにかく、野村には勝った。  

 


 森崎は遅い。トップは疾うに半周先を走っている。
 ようやくバトンを受けた。

 

 僕はトラックをただ走った。

 前のランナーは気にならない。
 そんな者は存在しない。
 オリンピック・ランナーのように腕を振り、足を上げ、ラストスパートを決めてアンカーに望みを託した。

 

「速かったね」
 久しく聞けなかった明子の言葉が、ビリに終わったクラス対抗リレーの成果だった。

 

 1年生から6年生まで全員参加のフォークダンスは午前中最後の種目だ。
 男子が5年生ともなると女子と手を繋ぐのが照れるのか、

 みんな上を見たり下を向いたり、相手を見据えて踊ってはいない。

 

 次は誰かと振り向くと、練習では当たらなかった、明子がそこにいた。
 明子と目が合う。
 僕ははにかんで、明子の手を取る。
 明子の手は冷たい。

 

 足がぶつからないようステップを踏む。
 明子の長い足、馨しい髪、つぶらな瞳、随分白くなった滑らかな肌は、僕を悩殺した。  
 繰り返し聴いた調べは、あっという間に終わり、僕の短い夢も終わった。



 

「家で作った、いなり、おいしいから食べて」

 

 僕はいなりを頬張り、母がそれを見ている。
 僕たち親子は、祥二の家族と弁当を食べることになった。

 

「天気はもったし、みんなで食べる飯はうまい」

 朝早くから場所取りをしたおじさんは、ビールが入ってご機嫌そのもの。

 

「はじめて会うがこりゃ、別嬪さん」

 由美子は頭を下げて浩二の横に座った。
 浩二に巻き寿司を取ってやる由美子。
 二人はここでも熱い。

 

「扇風機がいるな」
 二人をからかう祥二。

 

「そんなに暑い? これ、使って」 

 由美子がハンカチを差し出す。

「達、行こう」
「こんなに作ったのに、もう行くのかい?」

 

「食べ過ぎると走れないから」

 祥二はおばさんにそう言い、由美子を無視して、僕と昼飯を終えた。 
 


 

 昨年骨折者が出た棒倒しは、PTA会長鶴の一声で、急遽、今年やることになった。
 日頃おとなしいのに限って、こういう時は豹変する。
 僕は、まず守りについた。

 

「ドッ ドッ ドッ」

 

 不気味な足音、喊声と喚声が聴こえる。
 背中や腰に衝撃が走り、膝蹴り、肘打ちの嵐が襲う。
 どうにか持ち堪えた。
 次は攻撃に出る。
 山の手前で相手に捕まり投げられた。
 起きた時に、味方はもう陥落していた。

 

「だらしない、奴ら」
 ここにも一人、腕を押さえて、今にも息が耐えそうな虫がいた。


 

赤い襷を掛けバトンを持った、明子が走る。トップとの差はない。 

並ぶことなく、グイグイ差をつけた。

 

「明子は学年で一番ね」

 弓子がうれしそうに近づいてきた。
 明子は大事な役目を終え、結果を待つ。

 

 運動会を締めるに相応しい、区対抗リレーは、この日の花形だ。 

 残っていた見物客まで力が入るようだ。
 祥二がバトンを受けた。

 

「祥二君!」 
 弓子の黄色い声が耳を劈く。

 

「祥二、行け。行け」
 おじさん、まだいたのか。
 明子のチームは2年連続優勝でトラックを一周した。
 明子はこの日輝いていた。
 



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