ニートな旅日記・・・2 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 2

 

 ロンドン北部のユーストン駅、2等自由席のボックスに腰を降ろした先客の僕は、

 黒いステッキ片手の英国風の老紳士と目を合わせた。

 

「エクスキューズー・ミー」
 この目を見て、彼はそう言った。
 たまたま乗り合わせたのです。

 

 老人の名前を仮にスミスさんとしましょう。
 彼は乗車券のような物を手にして、何度も神経質そうに確認した。
 御年七十前のスミスさん、まるで葬式帰りのような見事な黒装束、 

 黒いハットとコートを脱いで棚に上げた。
 ふさふさした白髪と皺の多い顔から、もっと年配のようにも見えた。

 

 咳払いした老人は、目の前に腰を降ろし、二言、三言、声を掛ける。
 執いようですが、僕の英語耳は彼の意図を察するには、はなはな不自由分で、

 解かったようなふりで、軽く微笑み、頷いた。
 そして、もう声を掛けないで下さい。
 そんなメッセージで、日本語のガイドブックを手にした。
 

 しばらく本を読み、これから先の旅を想い浮かべ、
 不時着した空港へバスでまっすぐ行く予定。
 午後の早い時間、グラスゴーの牧場に着いている。
 何かの目的があったわけではありません。
 

 

 ただ、その場所を訪れてみたい。
 もう、一度、あの真夜中の、夜明け前の初めて訪れた外国を
 ゆっくりと見てみたかった。
 陽の光の中、どうしても、あの景色を目に留めておきたかった。


 

 今思うと、ロンドンからグラスゴー空港へは、合理的に考えれば考えるほど、

 断然電車より飛行機が便利です。
 ヒースローからのシャトル便が、日に何便も飛び、
 ずっと短時間でより安くあげる事もできる。
 しかしながら、当時の僕は基本的な旅の情報を知りもせず、
 わざわざ持って、この列車に乗りこんだ。
 

 スミスさんは朝食を済ませてなかったようで、
 若い男の売り子に、サンドイッチとティーを頼み、僕にもどうかと、勧めます。
 すでに食事を摂っており「結構です」と丁寧に断りを入れて、
 僕は本を読み続けた。

 

 食事を終えた彼は、10分経ち再度顔を見せた売り子から、
 ビスケットとコーヒーを受け取る。

 ここでも、どうかと勧めます。

 

「お金はわたしが持ちますよ、心配しないで下さい」
 僕の英語耳は、彼の意図を理解しました。
 いや、それほどの能力はなく、
 ただ、どういう訳かその言葉が解った。
 霊感やテレパシーの類いです。

 

 けどやはり、スミス老人の好意を丁寧に断った。
 僕はまったくといっていいほど、間食をしない性質なのです。

 列車が出発して、1時間は経ち、最初の停車駅を過ぎ、
 緑の田園地帯が延々と続いた。

 

 相変わらず二人きり。
 僕は本を閉じ、景色にも飽きて、もう一度本を開こうとした時。
 退屈しのぎでしょうか、老人が話しかけてきます。

 

「すみません、あなたはどこからやって来たのですか?」
「日本です」 
「ほう、随分遠い所からおいでになった。
 日本のどちらからです?」
「東京です」
「それで、これからどちらまで行かれるのです?」
 正直に応えていいものか迷いました。
 

 

 少し間を置いて、

「スコットランドに行こうと思います」
 正直に応えるのも何ので、グラスゴーというところを、
 少し暈して応えました。

 

「そうですが、あの国はとても良い国ですよ。
 かつて、わたしも何度か行ったことがあります」
 僕に解かるように、ゆっくりはっきりした英語でした。
 いえ、やはり、これはテレパシーの成せる技だった。
 それから、ぴたりとスミスさんは口を噤み、
 新聞を読み始めた。
 

 再び彼が声を掛けて来たのは、2番目の停車駅に着く少し前。

「テレビで観たのですが、あなたの住む日本では、とても早い列車がありますね。
 死ぬまでに一度乗ってみたいのです」
 新幹線のことを言っているのだな、そう、ピンと来ました。
 でも、英語で何と言っていいか、しばし考えた。
 新幹線を英訳すると・・・・浮かばないので、とりあえず、

 

「はい」と応え、老人は、うんうん頷きます。

「フランスにも同じようなのがあるそうです」
 乗られたことはありませんか?」
 そう付け加えようにも、問題は僕の英語です。
 ましてや、イギリス老人の彼に、フランスの話は失礼になると思い、黙っていた。

 また、老人が話し掛ける。

 

「ねえ、あなたは学生さん?
 もし、そうなら、良い話しがあるのです」
 即答を避け、そして、閃きました。
 この老人とも通りすがりの関係ではないか。
 もう2度と会うこともない。
 何を言おうが知れたものではない、開き直って、

 

「はい」
 僕は少し微笑んで、そう応えた。


 

「OK!」スミスさんは、悲鳴に近い声を上げ、

 先ほど神経質そうに眺めていた乗車券のような物をジャケットから取り出し、

 「さあ、これから、わたしと一緒に付いて来なさい」
と、僕の手を握り締めていた。
 一瞬、我を忘れました。


 

 気づいた時、黒装束のスミスさんと、僕は駅のプラットフォームに立っていた。
 名前すら忘れているのです。
 いいえ、最初からそんな街はこの世に存在しないかもしれません。
 グラスゴーに行く予定の僕は、ひょうんなことから、見知らぬ老人と異次元の世界へ旅をしていたのです。
 



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