ニートな旅日記・・・1 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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                          幸田回生

                       

 グラスゴーに行こうと思うんですよ。
 夜でした。
 いや、もっと正確にいうと冬の早朝。
 1時間ほど仄かな照かりが灯った小さな窓から、
 スコットランドの景色をぼんやりと見ていた。
 

 

 なにかの弾みで、草原のただ中にある、機内に閉じ込められていたのです。
 人越しに注意深く外を見渡すと、ただ真っ暗な闇。
 殺伐とした北国の荒涼した気配が唸る風がガラス越しに伝わった。
 動物の赤い目が光った、キツネかテンでしょうか。
 

 

 よく見ると、一台、もう一台と光の線を発した箱型の車が走って行くのを確認した。

 そういえば、ほんの1時間前に、同じ窓からオーロラを見ていた。
 大自然が宇宙が発する神秘的なエネルギーに満ち、
 それはスカンジナビア半島北部の上空でした。


 

 どうして、こうした状況下にいるのか?
 さっぱり理解できませんでした。
 日本からの直行便だからです。
 トラブルで大気圏からはみ出し、
 地球外の惑星に紛れ込んだか、スペースシャトルのように、
 ぐるぐる地球を回っているのかと想いました。

 

 まさか、チェチェン上空は飛んでないと思いますが、
 なにぶん、この飛行機はユニオン・ジャックを付けており、
 どんな敵に狙われるやもしれないのです。


 

 行く先々の国で悪さを働いた英国は、7つの海を支配し、
 大英帝国、紳士の国なんて、大仰に名乗っておりますが、
 なんのことはない、ただの海賊国家なのであります。
 これを読んでいる諸君、誤解しないでくれ給え、
 これは何も、僕の偏狭は英国観ではなく、彼の国以外ではまったくもって常識なのです。


 

 海賊国家英国は、いや、中東イスラム地域では盗賊泥棒国家とも呼ばれているようで、

 海賊も泥棒も似たりよったりの、海では海賊、陸では盗賊にすぎず、まったく同じと考えてもらって差し支えない。
 だからして、この飛行機は翼の片側やエンジンの1つくらい、
 破壊されて当然、そして、この荒涼たる牧草地に不時着したのです。

 

 世界各地で海賊強盗を働き、それを礎に英国は近代国家を構築した、褒めて言えばこうなる。
 王様の首切り、産業革命、議会制民主主義の樹立、教科書の隅の歴史、そんなことは旧文部省の役人か偏差値主義者の連中、
 それを面白おかしく書き立て一儲けを企むマスコミに任せておけばいい。
 やはり、僕は我愛する日の丸の飛行機に乗るべきでした。
 
 

 一度だけ、トイレに立った。
 前に進むと、使用中のランプが灯り、異常なほど長時間。
 出て来たのは、むくんだ青白い顔をした小柄な外国人、
 彼女は無言で立ち去った。

 

 用を足すのにこれほど時間がかかるのかと、
 疑念を持って、僕は細い体を捻ってその空間に身を任せた。
 聞きしにまさる狭さ。
 55キロの僕でさえ、体を反転させるが難しいのです。

 

 相撲取りはどうするのでしょう?
 僕は小便をしようとファスナーを下げ、便器の中を覗くと、
 彼女の汚物が残っていた。
 やれやれ、こんなところで外人さんの落し物を見つけるとは。


 

 ジャンボ機の狭い2階席奥、3列並びのシート真ん中で、
 フランス女とドイツ男の間に挟まれ、日本を発って10時間経過、 

 背中の筋肉は張り、お尻はジンジンと痛む。
 

 

 もうこれは、立派なエコノミークラス症候群の前兆。
 僕の席は、それこそYクラスなのだ。
 耳学問を齧り、若いスポーツ選手でさえ、この病気に陥ると知り、 

 散歩すらしない不精な僕は、この長旅の計画を中止しようかと、 散々迷っていたのです。


 

 それでも、旅を実行することにしました。
 大した理由なんてまるでありません。
 今流行の自分探しの旅とでも言えばいいでしょう。


 

 それまでの僕は、自分の部屋を牢獄とし、食事も家族と離れて一人で摂っていた。
 窓から見える、100メートル先のコンビニまで行くのがせいぜいの、

 1週間、10日も籠るオタクだった。
 現実世界から逃避し、

 僕は6畳のコンクリート部屋の中で漫画とゲームとインターネットの世界で生きていた。

 

 1日の大半をパソコンのディズプレイとキーボードの前で、
 カチカチカチと、首や肩が壊れるまでのめり込んだ。
 マンガ本とゲームソフトに支配された、
 閉じられた世界の中を浮遊する旅人だったのです。
 

 僕は家族と同居する、いわば寄生虫ですが、
『パラサイト』なる言葉で煽り立てる、下種な大学教授を刺し殺してやろう、

 そんな度胸がないのなら、男の家を爆破してやろうと、 ずっと想い続けていました。
 

 

 コンビニ帰りの本屋で、男の本を手に取り、その場で破り捨てた。
 防犯カメラで覗いた大学生風のアルバイト店員に手を掴まれ、
 引き摺られて、奥の従業員室で4、5発拳固で顔を殴られた。
 口元から赤い血が滴り、暴力の黙認を交換条件に警察と両親への通報免除を勝ち取ったのです。
 僕は血を舐めました。
 自分の甘い血を舐め、舌で感触をじっくりと味わった。

 


 そして、今度舐めるときは、殺した人間の血だと、ドラキュラのように決意したのです。
 部屋に戻ると、学者野郎と僕を殴りつけ、この全人格を否定した書店員への復讐を近い、その後、ネットで爆弾のホームページ観覧が病みつきになった。


 

 すると、ひょんなん拍子に『ニート族』なる言葉を見つけ、
 それを撒き散らす元政治屋の胡散臭い闇商人を、
 こいつも先の二人と一緒にあの世に送ってやろうと、
 オンラインショップで組み立て爆弾キットを手に入れ、

 昼夜を問わず狂ったように実験に取り組んだのです。
 

 掲示板の殺人予告も考えましたが、先人が逮捕された情報を知り、すんでのところで中止と相成り、
 もう少しの頭と勇気があれば、三人の男をこの世から葬り去ることができたでしょう。
 

 僕は金に困ったこと、人に借りたこともない。
 いいえ、金を借りようにも、一人の友人もいず、
 金貸しの世話にもならなかった。
 何の物欲もなく、ただ一日を無事に終え、
 明くる日に目覚めていれば、それでよかった。

 

 自殺は考えたこともない。
 生きる気力もなく、さりとて、死ぬ勇気もない。
 これではまるで、意気地のない戦争捕虜です。
 僕は東京は山の手のマンションの一室に籠城する、
 まさしく現代の彷徨える塹壕兵でした。
 敵はこの身を威嚇するすべての人間、もっともこれに値するのは、
 両親でしょうが、まだ少し理性が残っていたようです。
 
 

 金は親にたかり、それでも底をつくと、
 しかたなく、日雇いのバイトに就いた。
 その時だけ、僕は半径100メートルの縄張りを出た。
 工事現場の旗振り、通行料調査、ガードマン、働いたらその日のうちに金をくれる、

 それが労働条件でした。
 金が欲しくなると、すぐに仕事にありつけた。
 

 

 魔法などありません。
 僕はアルバイト紹介所に登録し、
 そこに勤める人に、情報の提供を受けていた。
 彼とは引越しのバイト先で知り合い、一度会ったきり、
 この世で、ただ一人の知人でした。
 僕はインターネットで、その仕事を探し当てた。
 彼は休日に、歩のいいバイトに来ていたのです。
 

 当日バイト登録は5人、しかしながら、やって来たのは、
 僕と彼の二人だけでした。
 あとの三人は所謂ドタキャンで、冷やかしのつもりか、
 他に割りの良いのを見つけたかのどちらかでしょう。

 

 仕事そのものは楽チン、人のいい雇い主が多めの人員を設定していたようで、

 今住む家を壊して同じ場所に新築する間、近くの賃貸マンションへの引越しなので二人でも充分だった。
 なにぶん、僕は普段はまったく体を動かさない虚弱児のため、
 肉体的には少しきつかったですがその分、2倍のお金を貰らい、 

 その上、「あなたたち二人には感謝します」
 と、初老のご夫妻に言われ、

 

 生まれて初めて、ほんの少し働く喜びを感じたのです。

 お昼に出された弁当か3時のお菓子の時だったと思います。
 そこで彼は徐にこう切り出した。
「こういうところで働いているけど、よかったら登録しない?」
 名刺を渡されました。

 

 ある種のスカウト活動に、
 僕は少し考えさせて欲しいと即答を避けました。
 あの日、彼の印象で、強く残っていることは、

 バイトに来なかった三人に対して強い憎しみを持っていたことです。

 

 彼は職務上、責任感はあるのでしょうが、
 それにしても、異常なまでの執着心を持っている人でした。

 引越し作業が済み、ご夫妻にお礼を済ませ、彼と並んで歩いた線路沿いで、頷いて承諾すると、
「ありがとう」丁寧に応えた彼と二人、駅の改札を潜りました。


 

 金が困った時の助けになる、軽い気持ちで、
 僕は名前と電話番号のメモを渡しました。
 その時、あらためて、彼を見た。
 上背は、ほぼ同じで、172、3センチでしょう。
 骨格が太く、がっちりとした体系で、当時19歳だった僕よりだいぶ年上に見えたのです。


 

 それから、気が向いたら、人恋しくなったら、
 彼の事務所に電話しました。
 必要な時だけ、彼の紹介で日払いの仕事に出かけた。
 週に1度、月に2度3度の時もあり、
 僕がお金が必要な時と、いいバイトに巡り会えるのは、
 だいたいそんな確率、ペースです。

 

 それは、僕が外界と知り合う接点でした。
 世間には様々は人々が、価値観の人がいるな、
 僕の偏狭な世界はほんのすこし、現実へ足を踏み出していました。

 

 彼らとは現場で、その日限りの付き合いに過ぎませんが、
 大企業をリストラされた50代の元管理職から元東大生、
 学生、フリーター、外人、田舎から東京に憧れ、大都会に埋没して、

 食うや食わずの人とも出会いました。


 

 彼らに「何をしている?」尋ねられると、
 僕は決まって大学生と名乗りました。
 どこの大学と突っ込まれても困るので、

 予め調べておいた誰も知らないような新設校の2部生としていたのです。


 

 人前では極力、自分から話さず、
 必要に迫られて話す内容はすべて嘘でした。
 でも、それでいいのです。
 なぜなら、彼らにとって僕は通りすがりの人であり、
 僕にも同じことが言えるからです。
 

 

 そこで出会った多くの人たちは、ほんの小さなきっかけで、 
 社会から逸れてしまった人々でした。
 そういう僕自身が、まさしくその代表者なのです。
 市井の人と労働で得た教訓は、人は右に行けば生、左に行けば死。
 東に行けばホームレスで、西に行けば大富豪です。

 


 人間の一生なんて、その人がどれだけ素晴らしいか、
 努力をしたかで決まるのではなく、
 一瞬に変化する、神様の気まぐれで決まる。
 

 知り合って1年ほどたったある日、

 彼が年末年始にまとまって1ヶ月の休みを貰い、英国旅行に出かけると、電話口で言いました。

 

「今、昼休みで一人きりで暇なんだ・・・       ・・・」
 彼にしては饒舌な長話し。
 いつもは、要点だけを伝える。
「こういう、仕事があるんだけど。
 ある時は今は忙しいから、後からメールで送るよ」
 

 

 彼との会話はいつもこうでした。
 その日の彼は受話器の向こうの心持ちが伝わって、
 1ヶ月後が楽しみでしょうがないようで。


 

 彼がイギリスに旅立って1ヶ月の間、僕は自分の狭い部屋から、 

 彼のいる異国の地を毎日想い描いた。
 数冊の英国旅行ガイドブックと手に入れたすべての情報に、 
 昼夜を問わずしがみ付いていた。

 

 年が明け、彼が日本に戻った頃を見計らって、事務所に電話を掛けたのです。

 

「彼なら、もう帰って来ないよ。
 え! 君、知らないの?
 あれだけ、テレビのワイドショーで騒いでいたのに。
 うちの事務所にもレポーターがわんさか押しかけて」
 事務所の上司が応えました。

 

「彼は帰国当日、電車の中で刺されて死んだ」

 上司の話では、「目が合っただろう」と、若い男の言葉の直後に、
 ナイフが彼の心臓を捕らえていた。
 それは彼の最寄り駅まであと100メートルまでの地点。

 

 犯人は、その場で取り押さえるられた無職の19歳の少年、
 精神的に不安定で、精神科の通院歴有。
 一瞬ぞっとしました。
 僕がその少年であっても不思議ではない。
 人を刺さないかわりに、僕は外界との人との接触を避けていたのです。


 

 ほとんどテレビ映像に触れず、好きなネットでも彼のニュースには気づかなった。
 いったい何を見ていたのでしょう。
 そういう生活をかれこれ5年間続けていた。

 数時間の放心状態を経て、コンクリート部屋の片隅で、
 僕は考えました。

 

 この事件は一見センセーショナルな事件のようですが、
 現代の日本では大都会、どんな僻地、どこで起きても、
 不思議ではないあり触れた、僕が知らなくても当然の事件です。
 もっともっと刺激的でマニアックな情報がそこら中に溢れている。

 

 彼はただ運が悪いだけでした。
 もう1本、早いか、遅い電車に乗っていれば、
 違う車両に乗っていれば、避けられた事件。
 いや、彼はその日、死ぬ運命でした。
 彼と加害者の少年は、そういう定められた関係にあった。
 それは、決して避けようのない、彼がこの世に生を受ける前から既に決まっていたことなのです。
 
 

 

 彼の死を知って3日目、僕は旅立ちを決意した。
 パスポートを取り、航空券を予約し、
 それまでの自分が嘘のように、活動的になった。
 彼の死を知り、きっと躁状態になっていた。

 

 もの凄いエネルギーが僕の内部に沸き上がる。
 きっと彼の情念が乗り移ったのでしょうね。
 彼はたった一人の知人、
 僕の中では親友といっても差し支えないほどの存在でした。
 現実の世界に僕を引き寄せてくれた、天使だったのかもしれません。

 

 でも、彼の死を忘れることにしました。
 たった一度バイトで出会ったきりの、

 通りすがりの人物として、処理したのです。
 

 出発前夜の一夜漬けで、僕は頭に叩き込んだ。
 適度に水分を補給し、左右の脹脛を手で揉み解し、 
 機内の座席で両足を足踏みすればいい。
 
  


 眠気も失せて、この先の世界のことを考えていました。
 それまで、上手いとはいえない日本語で話しかけてきた女は静かに眠り、

 食事前に辞書を取り出し、英語に苦心していた窓際の男は、微かな寝息をたてています。
 シンとした夜明け前でした。

 

 通路灯の弱い光の中、座席脇の通路を2度3度英国女性の客室乗務員が通り過ぎる。
 風のような音がします。
 空調でしょうか。
 前席の読書灯が目に入り、新聞をめくる音。
 それ以外、音は無でした。
 寒くて毛布を足元から体に引き寄せた。
 

 機長による英語の状況説明、つづいて、女性のアナウンスが流れ、
 何を言っているのが、伝えたいのか、要点は掴めない。
 時折、英単語がぽつぽつと聴き取れるだけ。
 まあ、僕の耳では、これも致し方なく、
 最後になった日本語でその状況を知りました。
 給油をしていたようです。

 

「ただ今の、ロンドンの気象をお伝えします。
 気温摂氏3度、霧がかかり、今しばらく、ここグラスゴー国際空港で待機いたします。
 現地の天候が回復次第、離陸する予定でございます」
 日本女性のやや鼻にかかった説明の後、長いようで短い、
 静寂の時は終わり告げた。
 
 

 ようやく、スコットランド一の都市から英国首都への旅発。

「キーン」残響音を残し、ジャンボ機は思い機体を持ち上げて、
 すぐに朝食を食べました。
 ティーの一杯も飲み干さず、あっという間に、
 僕は早朝のヒースロー国際空港に舞い降りていた。
 


 

 そこで、はじめての入国審査とやらで、不親切きわまりない、
 底意地の悪いイギリス人、いえ、イングリッシュとやらに出くわしたのです。
 若い背の高かそうな男でした。
 入国審査の職務上、座っているような気がするのですが、
 あまりの緊張のため、若い背の高い男としか、印象が残っていない。
 その代わり、この男のイメージならはっきりと覚えている。


 

 女王陛下の城門を守る番人のような男でした。
 帽子と棍棒こそ持っていませんが、俺がこの国を守る。

 

「お前のようなジャップ如きが」
 その目が物語っていた。

 

「この王国に何の用で来たのか?」
 イングランド? 僕の拙い英語耳にはそう聞こえた。
「日本で何をやってる?」
「金はいくら持ってる?」
「帰りの航空券を持ってる?」
「これから、どこに行く?」
 
 

 いつものように「学生」と嘘をつき、
 僕はコートの内ポケットに忍ばせてたパスポート、トラベラーズチェック、帰りの航空券を取り出した。
 それから、自分でも思いもよらない言葉を発していたのです。

 

「グラスゴーに行こうと思うんですよ」
 男は冷たい目で、自分の国の言葉を早口で発し、僕が見せた航空券を確認し、

 パスポートに『ポン』とスタンプを押すと、
 不敵な笑みを浮かべ「ネクスト」という声が聴こえて来た。
 

 

 とりあえず、男は僕に1ヶ月の猶予を与えました。
 こうして、僕はこの愛想の悪い王国に入国したのです。

 すぐさま、手荷物を受け取り、持っていた旅行小切手を英国ポンドに換えました。

 

 ここでもまた、底意地の悪い若い男に出くわした。
 男は門番の瓜二つの双子だった。

 

「さっさと、銭を持って失せろ」
 まるでそう言うように、透明ガラスの向こうのイングリッシュは、
 丸まった窪みの下から、女王陛下の紙幣と僕の大事なパスポートを投げ返した。

 

 

 僕は眠い目を擦って長いエスカレーターで下降し、地下鉄に乗り、

 ヴィクトリアという大英帝国全盛期の女王の名をいただいた駅で降りた。
 通りを徘徊中、見かねてた日本人旅行者に声を掛けられ、
 どうにか安宿に辿り着いた。

 

 とりあえず、3日分のお金を小柄なママさんに前払いして、
 ベッドに体を横たえた。
 
 

 目覚めたのは、お昼を過ぎていた。
 念のため、僕は財布のお金を確認した。
 50ポンド足りない。
 何度確認しても、結果は同じ。
 空港の両替所のレシートを見て、50ポンド足りないと解かった。
 

 急遽、空港に後戻った。
 両替所に双子の弟がいました。
 レシートを見せて50ポンド足りないと、執拗に訴えても、
 まるで相手にせず、鼻先で笑う。

 

 困り果てたが、閃いた。
 日本語ができる人を呼べばいいんだ。

 

 ここヒースローに、日本語のできる人? 
 僕は航空会社のパンプレットを取り出し、受付まで出向き、
 空港マイクを通して、日本語ができる人の呼び出しを頼むと、
 10分ほどして現れた、

 利用した英国系航空会社の日本人スタッフの彼に受付から両替所まで付き合ってもらった。
 

 その高橋さんが双子の弟に事情を伝えると、早朝と同じように、
 他所を向いた男は、女王陛下の紙幣とパスポートを投げ返した。
 もちろん、「済みません」の一言もなかった。

 

「シッツ」というような、蔑む小さな音を耳に挟んだ。
 僕は濃紺ブレザーの高橋さんに丁寧に頭を下げお礼を言い、
「これからはちゃんとお金を確認するように」
 と、注意を受け、20ポンド札2枚と10ポンド札を握り締めていた。



 

 翌日、女王陛下の城に出かけた。
 宿の通りからヴィクトリア駅を抜けると、すぐそこ。
 辺りを見渡し、シャッターチャンスを窺うと、
 年配の男が僕を撮ってくれると申しでた。
 優しい人がいるもんだ。
 すっかり、昨日のいやな出来事も忘れて、門の前に立った。

 

 そして、「サンキュウ」と言って立ち去る僕に、
「ここに名前と住所を書いてくれ。
 写真を送ってあげる」
 そう、彼の国の言葉で微笑みかける。
 僕の耳に通じた。

 

 本当に優しい人がいるもんだな。
 僕はローマ字体で名前と住所を記入し、歓心しているのも束の間、

 

「15ポンド」と、右掌を差し出す。
「えっ! 親切ではなかったのですか?」

 そのまま逃げようかと迷ったものの、
 きっと、日本に戻ったら、りっぱな写真が届いていると信じて、
 結局、僕は15ポンド支払いました。
 

 もう、みなさんもお解かりでしょう。
 日本に戻っても彼からの写真は来なかった。
 1ヶ月2ヶ月待っても、埒が明きません。
 まんまと、騙されていたのです。
 女王陛下の城の前で僕は英国紳士の餌食になった。


 

 ふと知り合いになった日本人ビジネスマンに教えられた。
 あの日、ヒースロー空港での爆弾騒ぎで僕の乗った飛行機はスコットランドの空港で急遽足止めを食らったのだと。
 IRAが声明を出したか、ただのデマだったか、
 わからずじまいで、そのおかげといっては何ですが、
 偶然、僕はグラスゴーの牧場を見ることになったのです。
 



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