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激しい暴雨に少女は目覚めた。
予報通り台風の到来のようだ。
ラジオを付けそしてNHKにテレビを合わせた。
このぶんだと午前中には彼女の住む街を秋台風は掠めていくだろう。
報道によると電車も始発から止まっている。
学校はたぶん休みだろう。
後で電話で確認するとしよう。
弟の部屋に入り、ベッドに跨り弟の薄いブランケットを奪い取る。
「起きな! 台風のおでましよ、いつまで寝てるの」
「もう、5分」
「今すぐ起きなさい、家を守るのよ」
彼のトランクスはテントを張っていた。
「あんた、朝立ちしてんの?」
前を押さえた。
「出てけよ!」
「ふん、テツも男だったのね」
テーブルでパンを齧り牛乳を飲み、NHKの台風情報に観入る。
テツが起きてきた。
「テントをしまったの?」
無言で冷蔵庫を開け、牛乳を取り出し、コップに注いだ。
パンを焼きマーマレードを塗って椅子に座った。
「早く食べて、家の周りを片づけるのよ」
彼は寝ぼけ眼でトーストを頬張り、窓の外の雨を見ている。
Tシャツ・短パンの上から透明のビニール合羽を着込んだ二人は、履き込んだアディダスを濡らし、
「どうにか終わった。テツ、家に上がろう」
「わかったよ」
洗濯竿を下ろし雨戸を閉め、吹き飛ばされそうな物を車庫横の物置に仕舞い、粗方の備えを終えた。
このログハウスに住んで3年目にして、はじめての台風接近である。
姉弟にこんな経験はなかった。
合羽を玄関に脱ぎ捨てキッチンで湯を沸かし暑いコーヒーを入れ、テーブルに戻る。
カフェインで気を鎮めた。
彼は姉を見習った。
アキはカップをキッチンに戻すと、バスタブに向かい熱いシャワーの滴が冷め切っていた体を正常値に戻す。
長く長く浴びて、バスローブを巻き、いつもの椅子に座ってNHKの台風情報を観ている。
台風はある漁村を直撃していた。
喧騒とは無縁な世間から隔離されたような内海の小さな村だった。
今朝まで静かだった海が突然唸りを上げ、そこを襲った。
950Hpaの超大型台風による死者23人行方不明12人の犠牲者、防波堤から吹き上げた大波に部落ごと攫われ、人々の生活すべてを破壊していた。
車が海水に浸り、ルーフの上にコーラの缶が乗っている。
畳が無造作に立ててあり、潮を吸った布団が投げ捨てられている。
首輪の黒猫が周囲を窺い、泥に塗れた猫は餌を漁っている。
海土で家族三人が生き埋めになり、小学生の男子が一人、救助されました。
アナウンスはヒステリックに伝えている。
テレビ映像で海水は床下10センチまで干き、家具とジュータンに海土がこびり付いていた。
少女はテーブルに肘を立て、小さな顎を掌で支えた姿勢で黙ってその光景を観ている。
トッドは足元で丸くなっている。
シャーワーから出てきたテツがトランクス一枚でむかいの椅子に座り、オレンジ・ジュースを飲んでいる。
アキは時折打ち寄せる突風が気になり、窓の外から辺りを見回していた。
台風の目に入ったのだろうか?
いや、この街を逸れて難を逃れた。
「ねえ、お腹空いた?」
「ううん」
「何か、食べようよ」
「わたしは、まだいい」
「僕は作るよ」
「そう!」
テツは、カップ麺にお湯を注いでいる。
彼女は日本各地の台風情報が面白くて仕方なかった。
日本にはいろんな土地の表情がある。
台風情報を通して、多様な日本列島を関心して観ている。
瀬戸大橋を観た。
大阪南港を観た。
名古屋城を観た。
横浜港みらいも。
お台場を、ディズニーランドを。
戻し風だろう、強い風が時折り吹きぬけた。
今日一日、静かに家で過ごしていた。
電話が鳴る。
すぐにアキがでた。
「台風はどう?」
「ママ、もう通り過ごしたの。ここは掠めただけよ」
「テレビで観ていたけど、たくさんの人が亡くなったみたいね。おかわいそうに」
「ほんとうに。でも、ログハウスは大丈夫なんともない、わたしたちに被害はないの。
学校は休みだし、テレビの台風情報で、まるで日本中を旅行した気分になったよ」
「そう、あなたたちは日本を旅行したことなかったわね」
「うん」
「日本対ウェールズ戦のチケットが取れたよ。
パパが知り合いのウェールズ人に頼んでいたの。
パパと二人応援してくるわ」
「パパと楽しんできて。おやすみ、ママ」
「こっちは、まだ昼過ぎよ」
「じゃ元気で、おかあさん」